tag:blogger.com,1999:blog-82949967918149359462024-02-19T12:53:47.598+09:00いづれか清水へ参る道暮らしの記録atohttp://www.blogger.com/profile/11996507483177569825noreply@blogger.comBlogger631125tag:blogger.com,1999:blog-8294996791814935946.post-64019901373634151132023-08-14T11:55:00.000+09:002023-08-14T11:55:38.476+09:00日曜の午後に 連日の猛暑で体力、気力が少しづつ削られていくような気分だ。ならば楽をしようとすると、結局家に引き籠って一日を無駄にしてしまう。せっかくの日曜、これではあまりに勿体ない。それじゃあと、涼しさを求めていつもの美術館にクルマで出かける。当初のんびりと常設展を見たのち、付属のレストランで昼飯でもと考えていた。ところが駐車場に入るのに30分、入館してからも人が多すぎてゆっくりできない。自分と同じように考えた人が多くやって来たためかもしれない。なんだか面倒な気分になって、早々と予定を切り上げ、丸の内の地下で弁当を買って家で食べることにした。ところがそっちはそっちで、観光客も含めて店内は大混雑。平日ならば、オフィス街特有の落ち着いた雰囲気の、いつも気分よく買い物ができる店なのだが、まるで東名のサービスエリアの店みたいになっている。買い物が終わって地上に出ると、今度は猛烈な雨が降っている。atohttp://www.blogger.com/profile/11996507483177569825noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8294996791814935946.post-92212954116146601742023-04-07T22:23:00.002+09:002023-04-07T22:23:21.118+09:00節電を始めて12年目の春 2011年の3月11日。突然、原発が停止して、街灯が消され、東京の街は暗くなった。途方もない災害を目の当たりにして、これからどのような暮らしをすべきなのか、まったく分からなかった。取り敢えず、今できることをするしかない。まず簡単なことから始めよう。そんなぐあいに、単純に考えて始めたのが節電だった。エアコンの暖房運転を止めて、折よく拾ったガスストーブを使うことにした。白熱灯だらけの照明を、可能な限りLEDに交換した。古くなった家電は惜しまずに交換することにした。その甲斐あって、2011年の電気使用量は前年2010年比で1割減少した。翌2012年は同年比約35パーセント減。2017年には、ついに節電実施前年から半減してしまった。1年の総電力消費量は1674kWh、電気料金で年間4万円弱といったところだ。その後は、自分の健康を重視して真夏、真冬は無理しないと決め、若干高めに推移してatohttp://www.blogger.com/profile/11996507483177569825noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8294996791814935946.post-81331837050788377612021-04-11T18:47:00.002+09:002021-04-11T18:47:32.537+09:00おとなの修学旅行 その1 ちょっとね、人生の一区切りがついたので、3月の終わりに妻と修学旅行に出かけた。今年の春はコロナの影響でインバンドがないので、桜咲く古都をのんびりと散策するには今しかないと思ったのだ。京都に奈良、そして伊勢神宮。ホントにありふれた行き先なんだが、大人になってからはほとんど縁がなかった。国内なのだから行こうと思えばいつでも行けそうだけど、おそらくこんな機会は最後だし、今行っておかないときっと後悔するという気がしたのである。それで、いの一番に訪ねたのが、定番中の体場、清水寺。僕は初めてだったのですが、ずいぶんと旧坂を登るのですねえ。思いのほか息が切れる。妻は途中、キョロキョロと辺りを見回し、この辺でゼミのみんなと写真を撮ったのだけどな あ、と当時を懐かしく振り返っている。あとはお互いよく散歩した岡﨑公園とか鴨川の河原とか、改めて歩き回るとこれが結構しんどい。atohttp://www.blogger.com/profile/11996507483177569825noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8294996791814935946.post-67303684819515488312020-08-07T17:43:00.002+09:002020-08-07T17:43:52.438+09:0010年目の梅しごと10年前のちょっとした出来事から梅干しを作るようになった。そう、あの放射能騒動の年。始めはネットで要領を覚えたが、その後はずっと自己流である。毎年記録を取って、それを参考に少しずつ作り方を改善してきた。ことしは不作気味だったのだろうか、店頭に並ぶ梅は貧弱なうえに、例年にくらべてずいぶんと高価だった。だから数を確保するだけでも手間がかかってしまった。遅い梅雨明けを迎え、やっと天日干しまで終えた。なんとか、来年の梅干しを整えることができた。とにかく、梅の神様ありがとう。毎日、梅を探して近隣のスーパーを覗くうち、野菜全体が少なくなり、しかも急に値上がりするのに気づいた。コロナ騒動と天候不順が合わさって面倒なことになったようだ。もしかしたら、今年の秋は令和の米騒動が起きたって意外とは思わない。奇しくも今年の野菜の高値は平成の米騒動の年以来だそうである。あれから国民所得は下がりっぱなしなので、家計atohttp://www.blogger.com/profile/11996507483177569825noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8294996791814935946.post-5206046758607808812020-07-24T09:58:00.002+09:002020-07-24T09:58:55.521+09:00「自炊」という名の断捨離この数ヶ月、世間並みに自由な時間が増えた。それで何をするかというと、やはり断捨離。以前に本を断捨離してさっぱりしたと書いたが、その後また増えたり、保管庫から新たに見つかったりと、さらに処分する必要があった。ただ、以前捨てたのは、もっぱら娯楽小説のような読み返す必要のない本だったので、残っていたのは時折読み返す、どうしても捨てがたい本ばかり。とはいっても、これに手をつけないと、いつまでももやもやした気分なのも確か。どうすればよいかと悩んだあげく思いついたのが、書籍の電子データ化だった。これまでも保管義務があるような重要書類は、すべてスキャナーでデータ化してクラウドサービスを使い保管してきた。本の場合は処理をするには途方もない分量なのでそのような発想がなかった。しかし、コロナ休暇はちょうどいい機会である。このチャンスを逃す手はないと思った。作業前にネットで調べると、いろいろと参考になるサイトatohttp://www.blogger.com/profile/11996507483177569825noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8294996791814935946.post-72265523839299047392020-01-01T23:30:00.000+09:002020-01-01T23:37:21.254+09:00人生はゲームのように40年近く前の頃だが、日本で最初に発売されたパソコンで、戦争ゲームを楽しんでいたときがあった。パソコンゲームと言っても今のような動画を楽しむものでなく、むしろ将棋ゲームに近い戦略ゲームと言ったようなものだ。ゲームの内容は、歴史上実際にあった有名な戦争を下敷きに、プレイヤーがどうやって史実を覆すことができるかという無理難題を達成するものだった。もちろん史実に基づく以上は歴史上の必然というものがあり、それを無視してはゲームが成り立たないから、ゲームの結果を動かすことは相当に難しい。それでもなお、歴史上の必然に挑戦する面白さは残されていたが、何度やってもその結果は変わらなかった。しかし、それではあんまり詰まらないので、終いには勝手にプログラムを書き換えて、何とか勝てるように細工したものだが、そうすると今度はあっという間に飽きてしまう。自分に都合のいいゲームなんて、ゲームそのものの価値がないものatohttp://www.blogger.com/profile/11996507483177569825noreply@blogger.com2tag:blogger.com,1999:blog-8294996791814935946.post-48169050928454591622019-10-21T17:36:00.001+09:002019-10-21T21:50:48.661+09:00今年は美術ファンにとっては空前の当たり年。何しろ2月は「天皇陛下御在位30年記念事業」、5月は「改元慶祝事業」、10月は「即位礼正殿の儀記念事業」と、美術館の恒例行事に加えて3日も多く無料観覧日(常設展示のみ)が増えたわけですから。大盤振る舞いとはこのことです。
いつもなら節約でお茶と弁当持参で行くところ、無料観覧なので帰り道にカフェで一服という余裕も生まれます。そんなわけで、今年の美術鑑賞はいつになく贅沢気分を味わえました。これはもう、天皇陛下に感謝ですね。
記念事業日当日の西洋美術館や国立博物館の様子。予想はしていたものの、しっかりと美術ファンが詰めかけていました。
画像は、大好きなハマスホイにミロの大作。常設コレクションでも十分に堪能できますね。
加えて、今年は初めて銀座の画廊巡りに参加しました。画廊に行くのは好きなんですが、中には非常に入りにくいところもあり、こういう企画に乗じてふらふらとatohttp://www.blogger.com/profile/11996507483177569825noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8294996791814935946.post-38068641753696050252019-10-20T18:11:00.001+09:002019-10-21T21:51:11.943+09:00どっちがどっちなのか「新型のスマホが出たら、型落ちした安いのを買うのがドイツ人」という笑い話があるそうな。当たり前にそうしたボクは、外見はともかく中身は丸っきりドイツ風。
5年前にiPhoneを手に入れて不満なくこれまで来たものの、ここにきて突如始まったキャッシュレス騒動。スマホを使ったコンタクトレス支払いを見せられ、このままでは世の中に置き去りにされると焦った。
とは言うものの、最新機種にはさらさら関心がないので、安くてちゃんと使えるなら旧機種でもノープロブレム。それに今使っているのと見た目も操作性も同じ方が、年寄り的には安心感もあるし。最新型は、それ自体がストレスなのだ。
そこで今秋iPhone6からiPhone8に乗り換えたのだが、あまりにも代わり映えしなくてちょっと残念。並べてみると、どっちがどっちなのか区別がつきにくい。少し重くて触ってつるりとした方が8、そうでないのが6。せめて色でも変えたatohttp://www.blogger.com/profile/11996507483177569825noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8294996791814935946.post-67132591481146220582019-03-12T19:27:00.001+09:002019-03-12T19:31:45.663+09:00椅子を見にいく誕生日プレゼントは何がいい?と訊ねられ、ぼちぼち新しい椅子がほしいと答えた。
今の椅子はクッションが駄目になり、修理のため板を敷き直したもので、長く座っているとお尻が痛くなるのだ。
以前から気になっていた椅子があったので、ショールームへ見学に行った。
狭い部屋にはちょうど頃合いのサイズで、しかも長時間座っても疲れにくいデザイン。
この椅子、なんでもアメリカの超大企業の新本社に何千脚と納入されたという。つまり座り心地はお墨付きということ。
さらに材質や、塗装、シートの種類もいろいろ選べて、どのように組み合わせるか考えるのがまた楽しい。
お目当ての椅子は、もちろん気に入ったのだけど、周りに展示している椅子もいいんだなあ。小気味よいスツールも楽しいし、ゆったりとしたラウンジチェアも素敵だ。
オットマンに足を投げ出し、姿の美しい椅子に身を沈め、音楽を聴きながら酒を飲めたらatohttp://www.blogger.com/profile/11996507483177569825noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8294996791814935946.post-88444895397948430872018-12-31T14:22:00.000+09:002018-12-31T14:22:52.798+09:00マイクロ本棚
断捨離で多くの本が消え、自分の書斎と呼べる部屋がなくなった。後に残るは文庫本などの小型本と電子書籍など。さっぱりとした気分だが、なんだか殺伐としているじゃないか。そこで小さな本棚を作り、かりそめの書斎空間を作ることにした。
さっそくホームセンターに行って、余り物の木っ端を買い求めた。1木っ端30円のを4枚。これをL字に組み立て、瞬く間に2個のマイクロ本棚を作った。しかしこれだけでは本が倒れるので、背板のない片方に適当なものを挟んで、わずかに傾斜をつけた。
並べられるのはせいぜい10冊程度だが、それでも部屋の片隅に本棚があるだけで嬉しい。そして、本棚のそばに小さな照明を添えると、もはや書斎空間である。何というか、愛おしい空間だ。子供の頃、押し入れの隅っこに作った秘密小部屋を思い出す。atohttp://www.blogger.com/profile/11996507483177569825noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8294996791814935946.post-75315130494383726902018-08-15T13:42:00.002+09:002018-08-15T13:42:31.639+09:00おとなのお絵かき
宅配便の品物を包んでいた大きな紙を一枚用意します。紙質に難ありだけど、ここに自分の未来を描きます。
最初に、将来が確定している事柄、たとえば自分や家族の年齢、人口動態などを横軸に記す。ほぼ確かだろうと思える社会問題も。縦軸は自分の体力、収入、資産等のリソースをあらわし、それがどのように変化するか書き込む。もちろんこのグラフは死に向かって右下がりに。次に、生活に必要なコストを、おおざっぱなイメージで書き込む。このグラフは70くらいまではダラダラと増加、そこを過ぎると90に向かって更に上昇するというイメージ。そのうえで、これから起きるであろう自分や社会環境の変化が、これらのグラフにどのような影響を与えるかを想像する。
たとえば後期高齢者になったら介護リスクが一気に高まるので、現実化すると家族の生活コストは2、3割以上は増加するだろう。最悪、夫婦ともに要介護者になったら、という想定もatohttp://www.blogger.com/profile/11996507483177569825noreply@blogger.com2tag:blogger.com,1999:blog-8294996791814935946.post-60320499325842883042018-08-12T22:25:00.000+09:002018-08-12T22:26:44.247+09:00これから我が身に降りかかる、ほぼ確実にやってくる不都合な事態についてまずは、労働人口の加速的減少と高齢者人口の増大(2025年問題)。かねてから想定されたことなのに、社会にはそれに相応しい危機感の共有がない状況です。
つぎに現在進行中の気候変動、地震、とくに東南海地震はその物理的周期性から逃れることはできないのでかなり切羽詰まる深刻な事態。
最終的には日本の国力喪失で、地政学上の均衡が不安定となって安全保障が揺らぐ。ただし多国間の複雑な力関係なのでいかなる事態になるかは予測困難だし、そのころはすでに生きてはいない可能性大なので、個人的には気にしないでいいのかも。
以上予想しうる2つもしくは3つの不都合な事態に対して、せめて20年若ければ、選択肢として海外に新天地を求めることも可能性としてはあったのだけど、いまや夫婦ともどもに体力、知力の衰えすでに微かな兆候あり。自らの老齢化とともに、激変の大波を被ることを覚悟しつつ、とりあえず個人がなし得る対策はないかatohttp://www.blogger.com/profile/11996507483177569825noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8294996791814935946.post-83699579555021344622018-08-12T15:23:00.000+09:002018-08-12T22:27:00.482+09:00「正常性バイアス」の罠震災や水害など自然災害の発生時に、避難警告が出ていたのに、多くの犠牲者を出してしまったという事例が多い。どのケースも、少しでも過去の災害に関心があったら、直ちに行動すべきことが当然であったにも関わらず、である。もし警報が出たら、多少面倒でもとりあえず避難するという選択をすれば、ほとんどの人は助かっていたはずなのです。
その原因として、人が「正常性バイアス」という心理傾向にとらわれることが指摘される。緊急事態が到来しているのに、たいしたことはないだろうと自分に都合よく事態を過小評価し、現状維持を選択する行動である。今この瞬間、自分の生命が危ないとリアルに感じられるなら誰だって逃げるのだが、危難に直面するまでわずかでも空間的時間的な余裕がある場合、その場で目や耳を塞いで安心しようとするのが、ごく当たり前の人の習性なのです。
私たちが、これら過去の事例から学ぶべきは、いかにすれば人の習性でatohttp://www.blogger.com/profile/11996507483177569825noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8294996791814935946.post-79178652426315706072018-05-19T00:07:00.000+09:002018-08-12T22:27:25.181+09:00100年の人生テレビCMで”人生100年”という言葉が出てきて、ちょっとびっくりしました。数年前から、100年を前提に人生設計すべきということが語られるようになってきましたが、もはや常識のレベルにまで上がってきたということでしょうか
人が当たり前に100歳まで生きる時代が到来するなんて、少し前には想像すらしなかったことが、いよいよ現実になってきているようです。
もとより急激な科学技術の発達で、がんは治療可能な病気になり、再生医療も道筋が見え、更に支援ロボットを用いた手術も普及しはじめている。AIを用いて、研究者が気づかない新しい治療法が発見されたという話も聞きます。このように日進月歩どころでない、とてつもない早さで医療技術が進歩し、そのため私たちはたとえ死にたくても容易には死ねない時代を迎えています。
現実に、先日100歳を過ぎた科学者が、安楽死を求めてスイスに行ったというニュースもありました。
atohttp://www.blogger.com/profile/11996507483177569825noreply@blogger.com2tag:blogger.com,1999:blog-8294996791814935946.post-66401629336589888652017-05-30T00:14:00.000+09:002017-05-30T00:14:21.095+09:00「雨あがりの街」
昭和もそろそろ終わろうかという頃だったか、新聞の投書欄に面白い記事が載っていたことを覚えています。投書主は会社勤めの女性で、ランチタイムにときおり蕎麦屋で日本酒を飲むという内容でした。
ストレスの強い部署にお勤めなのか、その日はいつもの社員食堂ではなく、敢えて誰も知らない蕎麦屋でひっそり仕事の疲れを癒やしている。そんなランチの光景を想像すると、嫌でも物語は広がっていきます。場所はもちろん新橋、風情の残る路地裏に10席程度の静かなそば屋。平日の昼間っから卵焼きを当てに酒を飲んでいても少しも違和感のない店で、入り口に背を向け目立たないように座っている中年の独身女性の姿がある。少々酒を飲んでも顔に出ないだろうし、仮に気づかれても文句を言われない立場の人かもしれない・・・。蕎麦が運ばれてくる暫しの間、呼吸を整えるようにゆっくりと杯を傾けるのでしょうか。そのシーンはどこか向田邦子のドラマのatohttp://www.blogger.com/profile/11996507483177569825noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8294996791814935946.post-31664700956728746372017-05-07T22:55:00.000+09:002017-05-07T22:55:16.768+09:00連休のお楽しみ。
連休を利用して部屋の片付け、ガーデニングに勤しむのはいつものこと。
あとは昼間っからビールを飲んだり、本を読んだりと、勝手気ままな時間を過ごしている。
例年、まったく代わり映えのしない過ごし方だが、しかし今年はほんの少し、お楽しみを付け加えた。
それは、「世界一おいしいご飯が炊ける」という気合いの入った炊飯器でいろんな料理にチャレンジしてみること。
気になるデザインは可もなく不可もなく、ホーロー鍋とIHヒーターを合体させたらやっぱりこうなりましたというカタチ。
どっしりとした重量感があり、それなりに場所を取るのは仕方ないか。
狭い台所では、存在感がありすぎかな?
世界一、世界一と呟きつつ炊き上がりを待ったご飯に、やっとご対面。
最初に撮影した写真はピンボケだったが、現物のご飯はシャキッとした粒立ちが素晴らしい炊き上がり。
そして肝心の味はどうかというとatohttp://www.blogger.com/profile/11996507483177569825noreply@blogger.com4tag:blogger.com,1999:blog-8294996791814935946.post-29310489389582948192016-10-03T22:41:00.001+09:002016-10-03T22:41:24.994+09:00金沢散策
関西での用事を済ませたあと、遠回りして二度目の金沢を訪れました。前回は学生の時で、当地の学生寮でゴロゴロしてただけでどこにも行った記憶がありません。なので実質今回が初訪問。
たまに小京都などと呼ばれますが、実際に歩いてみると京都とは全然違いますね。街の中心に巨大な城址があり、しかも武家屋敷が多く残り、京都などよりずっと古都の風情を色濃く残す堂々たる城下町でした。
かつては駅の近くにぽつんと高層ビルが一つだけやけ目立つ、斜陽の地方都市という印象があったのですが、今回は様相一変で成長する北陸の拠点都市という印象かな。
念のため統計をみると、実際に前回時より1割方人口が増えている。
もちろん福岡や仙台などの発展とは比べられないが、それでも寂れる一方の私の故郷と比べると、ずっと伸び代があるように思えます。
金沢は観光客が多いと聞いてましたが、もしかして9月末は時期atohttp://www.blogger.com/profile/11996507483177569825noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8294996791814935946.post-50045511046920477082016-09-30T23:26:00.001+09:002016-09-30T23:44:23.222+09:00いま時の大衆実用車に驚く
「大衆車」を意味する海外ブランドの、その中で最も実用的なクルマを購入しました。
つまり、「大衆向け実用車」という色気も素っ気もないクルマ。
というのも、見栄やはったりとは一切無縁の、日常生活の道具として相応しいクルマが欲しかったからです。
前回も述べたところですが、急に買替えが必要となり、感情ではなく論理を詰めればこれしか選べないだろうという、ある意味きわめて消極的な判断で決まったクルマでした。
おまけに我が家の周囲でも、同じ理由で選ばれたに違いない同じクルマがごろごろと生息しており、なんとなく諦め半分の買い物でした。
ところがいざ運転を始め、次第に慣れていくにしたがって、すべてが感心することばかり。
試乗時の印象以上にずっと軽快で、走る曲がる止まるの動作に何の不満もない。
いや不満がないという言い方は不適切か。
感覚的に言うと自分の運転技術が、3割程度上達したような気分を味atohttp://www.blogger.com/profile/11996507483177569825noreply@blogger.com2tag:blogger.com,1999:blog-8294996791814935946.post-26346144708540586822016-08-14T22:29:00.000+09:002016-08-14T22:35:55.083+09:00三代目のクルマ
春を迎えて急に調子が悪くなってしまった「前世紀号」、夏に入ってもはやこれまでという状態に至りました。近所ではすでに同型のクルマを目にすることもなくなり、何ヶ月かに一度、たまに路上で遭遇することがあると、何となく互いに意識して併走、追走することも度々でした。そんな楽しい体験も、今夏でおしまいです。
いつかは今日の日がやってくるのを予想して、折を見ては三代目候補の試乗を繰り返していました。条件は3つ。サイズはできる限り小さいこと、普通に美しいこと、運転して楽しいこと、です。前回にも書きましたが、左足ブレーキが前提なので、以上の条件を満たすものを輸入車の中から探すことになりました。
小さいクルマであることについては、言うまでもなくクルマは社会によって支えられているのだから、社会の迷惑になるようなサイズであってはならないという考えからです。普通に美しいということも同様で、社会に不atohttp://www.blogger.com/profile/11996507483177569825noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8294996791814935946.post-43500333214943046512016-08-05T01:29:00.000+09:002016-08-05T01:32:18.189+09:00左足ブレーキの憂鬱細くて見通しが悪く、入り組んだ道ばかりが毛細血管のように広がっている街に暮らしています。
こんな場所でクルマを運転していると、十分に注意していてもヒヤリとすることが頻繁にあります。
特に最近は、高齢者やスマホに夢中の若者が操る自転車が増え、左右を確認することなく無自覚に交差点に入ってきます。
窓を開けて見えない自転車の音に耳を澄ませ、慎重に交差点を通過するのですが、それでも目の前に突然姿を現し仰天することがしばしば。
夜はライトを点灯するので相手も気づく可能性がありますが、明るい昼間はほとんど対処のしようがない。
普通の街では考えられないでしょうが、これが我が街の現実です。
それで、いざという時に備え、少しでも早くブレーキを踏むため左足ブレーキを実践しています。
左足は常にブレーキペダルに乗せ、右足はアクセルを踏む以外は外しておくという習慣です。
咄嗟の場合、混乱してペダルを踏みatohttp://www.blogger.com/profile/11996507483177569825noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8294996791814935946.post-57919918528482606392016-07-12T23:59:00.002+09:002016-07-13T07:19:38.988+09:00「無料お試し」を利用するいきなりハードディスクレコーダーが不調になり、新しいモデルを買うはめになりました。
私は主に、ニュースにドキュメンタリー、情報番組などを録画して、夕食後にまとめて飛ばし観をするという使い方。
ゆっくりと番組を観る時間がないので、エッセンスを拾い上げる必要があるからです。
そこで面倒なのは、おそらく誰でもそうでしょうが、番組表から予約録画するという作業。
数日おきに、番組を取捨選択しながら、リモコン片手に指の運動をするのが苦痛で仕方がない。
しかも古い機種なので、操作時の反応が遅く、これが結構ストレスになっていました。
たまたま、指定したチャンネルを24時間丸ごと録画するという便利な録画機の存在を知りました。
これで面倒な予約が不要になり、後から必要な番組だけをピックアップして鑑賞すれば良いのです。
私の場合は、公共放送だけでも丸ごと録画すれば、かなり予約の手間が省けるということに気づatohttp://www.blogger.com/profile/11996507483177569825noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8294996791814935946.post-79701952821601354382016-07-09T20:00:00.002+09:002016-07-09T20:00:34.087+09:00投票箱の前で昨夜、駅近くの投票所で期日前投票を行いました。
この数年、期日前投票の人が目立って増えてきてませんか。
投票所の入り口で、初めて列に並びました。
もしかすると、前回より投票率が上がりますかね。
ちょっと考えました。
政治に対するどうしようもない無力感について。
近代政治のメカニズムについては習った人も多いことでしょう。
大衆の意見や要望が多様なルートを辿ってリーダー層にくみ上げられ、それに対応する政策が打たれる。次に、これに対する大衆の反応が再びリーダー層にフィードバックされ、更に適切な政策が提示される。
この流れがスムーズに循環するならば、政治に対する信頼が生まれ、国民は安心して暮らすことができるわけです。
人の体でいえば、世論という血液が心臓から送り出され、リーダーたる頭脳に運ばれ、国家という体が動かされるというイメージ。
そして心臓に当たるのが、民主体制なかんずく選挙というatohttp://www.blogger.com/profile/11996507483177569825noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8294996791814935946.post-36614102377066320972016-07-04T23:21:00.000+09:002016-07-04T23:21:00.927+09:00若者たちへの助言参議院選挙が近づいてますが、選挙カーの騒音もそれほどでなく、そこそこに平穏な休日でした。
いつもなら期日前投票を済ませているはずが、今回はいきなりの猛暑で投票に出かける元気を失いました。
投票日に並んで投票するのが嫌なので、なんとか今週中にやっつけておきたいと思ってます。
さて今回の選挙から、選挙権の年齢が引き下げられました。
反対意見もありましたが、わたしは素晴らしいことだと思ってます。
18やそこらで政治なんか分からんという、なんだか意味不明で理解できない意見も多かったですね。
18で政治が分からないというのなら、たぶん50になっても分からないだろうし、この先呆けてしまえば何も分からなくなる。
むしろ、国民全員に選挙権を付与して、赤ん坊や幼児はその親が、その子の利益のために代理で投票する権利を与えるべきだと考えるくらいです。
なぜか。
あまりにも高齢者が増えすぎて、現役世代よりatohttp://www.blogger.com/profile/11996507483177569825noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8294996791814935946.post-48952646942616480112016-06-25T23:05:00.000+09:002016-06-25T23:05:16.344+09:00寄り道
今回の旅行で、どうしてももう一度訪れたい場所がありました。
それは奥琵琶湖を抜け、ひと山越えて、ひっそりと隠れるようにある小さな湖。
自転車旅行の途中にほんの一時休憩しただけの場所でしたが、あまりにも静かで神秘的な雰囲気に、ずっと戻ってきたいと願ってました。
場所が場所だけに、よほどの機会がないことには行くことはないと諦めてましたが、今回は都合よくクルマだったので、思い切って寄り道してみました。
京都を出発して約2時間、不安になるくらい狭い道をたどって、湖畔の思い出の場所に到着しました。
前回は晴れ渡った晩秋でしたが、今回はしっとりと雨上がりの湖畔風景です。
朝ということもあってか、やはり誰ともすれ違いません。
湖の中程に、漁をする人の小舟が一隻浮かんでいるだけです。
明るいあじさいが、湖畔の風景に映えて美しい。
その後、atohttp://www.blogger.com/profile/11996507483177569825noreply@blogger.com2tag:blogger.com,1999:blog-8294996791814935946.post-72760040862292505972016-06-24T22:45:00.001+09:002016-06-24T23:00:43.234+09:00雨の日の小旅行
9年ぶりの京都散歩。
前回は北区周辺を散歩したので、今回は左京区にある銀閣寺界隈を歩きました。
かつて学生時代に住んだところなので、町のあちらこちらに思い出が染みついてます。
とは言うものの、その当時通った飲食店はすべてなくなってしまい、お世話になった銭湯や古本屋も消えてます。
変わらないのは学生の多さと、観光名所くらいでしょうか。
毎日通った哲学の道。
大雪の日の朝、下宿の人たちと雪景色を見に行ったのが最初で最後だった銀閣寺。
今回は雨の降りしきる中での訪問です。
当時と違うのは、観光客のほとんどがアジアの若者たちだったということ。アジアは驚くほど豊かになりました。
あの頃の観光客、外国人は非常に珍しく、いわゆる「アンノン族」の女性たちが中心でしたね。
銀閣寺の後は、岡崎公園の美術館に行き、近くの喫茶店で一休み。
今じゃ死語ですがatohttp://www.blogger.com/profile/11996507483177569825noreply@blogger.com0