いづれか清水へ参る道
暮らしの記録
2026年6月23日火曜日
シニア向け特製iPhone
2026年6月15日月曜日
これだけは忘れまい
大型IPOでイーロン・マスク氏の個人資産が一気に160兆円に達したという。
自分が具体的に想像できる金額はせいぜい10億円程度なので、その価値を測る物差しすらない途方もない金額である。
ただ、漠然と感じたのは、たったいま世界に不吉な号砲が鳴ったということだ。
これから想像することすらできない資産を有する人々が次々に誕生する一方、日々の暮らしを維持するのが精一杯の人たちが激増する社会、つまり極端な二極化社会が到来する時代の幕開けだ。
世界中で起きる貨幣価値の際限ない下落と、同時進行の資産価値の急上昇。
持たざる者はいくら働いても決して豊かになることはなく、持てる者はただ眺めているだけで限りない豊かさが約束される社会がやって来る。
嘗て日本には「一億総中流社会」という穏やかで平和な社会があったが、あの奇跡のような社会を夢見ることすら許されない厳しい時代に突入してしまった。
いま自身を中流と感じる人たちは、もはや存在しない社会階級にしがみ付いているだけだという事実すら理解できないほど社会が分断されたと考えるべきなのだろう。
ぼくは老人で、穏やかな余生を送ることだけが望みなのだが、そんなささやかな望みすら贅沢だという時代が到来するとは、コロナ禍前までは想像することすら難しかった。
なんということだ!
2025年7月28日月曜日
長いトンネルを抜けて
先日のこと、長年通っているショッピングセンターのバーゲンセールに行った。
ざっくり40年通っていて、景気のいい時期や悪い時期のセールの様子を一通り見てきた。
そして今回、はっきりと目に見える形で、客が増えて売れ行きが良くなっているが分かった。
例年ならば、昔の景気のいい時代と違い、初日に行ってもいつもと変わらない程度の出足だったのが、明らかに店内が混雑している。
それも、朝から30度を超える酷暑であるにもかかわらず、だ。
昼になって一通り店内を巡り、さて昼飯をとレストラン街に行くと、すでに大行列である。
決して値段で勝負しているわけでない、都内では名の通った飲食店ばかりである。
以前なら、それほど待つことなくすんなりと入店できた所だ。
更にその数日後、バーゲンセールが終わり、注文していた商品を受け取りに再び同じショッピングセンターを訪れたが、意外なことにその活気には変化がなかった。
都心の不動産の高騰が伝えられる商業地区とは違い、ここはサラリーマンや年金受給者が多く、都心近郊の地味目の地域である。
こういう場所でも、消費熱が高まっているということは、知らない間に景気の底打ちあったということではないか。
2か月前、もう日本は立ち上がれないほど駄目になったのかと、溜息交じりの記事を書いた。
ところが連日の酷暑の中、これまでとは違う活気のある風景を目にして、私は微かに興奮を覚えている。
夜明け前が一番暗いという言葉を引用するまでもなく、長いトンネルを抜けて遠くに光が見えてきたのが、今の日本の景色だと切に願う。
2025年7月8日火曜日
「シャトー銀閣」の謎
半世紀も前の話。
当時、北白川に下宿していて銀閣寺道は通い慣れた道だった。
ある時近所の友人と歩いていて、洒落たマンションを指差し「ここにね、植草甚一が住んでるんだよ」と切り出した。
関心がなかったので「そうなの?」とか言ったのだと思うが、それっきり話題が途切れたのは確かだ。
東京の人気作家がなぜあんな場所でと、疑問が膨らんだのはその後世田谷に暮らすようになってからだ。
氏は経堂駅前の高層マンションに暮らし、晩年はそこを拠点に毎日のように散歩したという。
とすれば、友人が京都で見たのはよく似た風体の別人だったのだろうか?
その後も何度となく銀閣寺のあたりを散策し、例のマンションを目にするたびに、いつも同じ疑問が脳裏をよぎったものだ。
ところが最近、長い間の疑問がようやく解けた。
氏の日記を読んでいると、奥方が京都の人で、その縁で京都にはよく通ったという。
そして奥方の親類が「シャトー銀閣」に住んでいて、何度も泊めてもらっていたようなのだ。
氏の京都滞在中は、例によって精力的に古本屋を回り、喫茶店で暇つぶしをして、両手に大きな買い物袋を提げてマンションに入っていったはずだ。
友人はその光景をたまたま見てたのである。
ぼくはあの時の会話の続きとして彼の勘違いを正したいのだが、もはやしたくてもできないのが残念だ。
2025年7月6日日曜日
「植草甚一日記」
J・J師の本を読んだのは学生時代だった。
ジャズはよく聴いたし、名画座で尖がった映画も観てたから。
いわばサブカルチャーの師匠だったわけである。
時は流れて、積極的に暇つぶしをしなくてはならない年齢になった。
漫然と家に籠っていては呆けてしまうのである。
健康のためにウォーキングは欠かさないが、これは単なる時間稼ぎ。
そのうちネコのようにどこかにいなくなって、家族から捜索願が出るだろう。
じゃあどうすればいいかと思いついたのが、J・J師である。
毎日のように街を散歩して、買い物をしたり喫茶店に立ち寄ったり。
とにかく活発に動き回り、小さな楽しみをかき集めている。
これならば、少しは自分にも出来そうな気がしてきたのだ。
「植草甚一日記」は戦中と戦後の散歩記録である。
強く興味を引いたのは戦後編で、今自分が暮らしている街のちょうど半世紀前の様子が克明に描かれている点だ。
あれから街の様子はすっかり変わってしまったが、師が毎日歩いた小道を改めて辿ってみたいと思った。
そして自分なりの小さな楽しみを拾い集めてみようではないか。
2025年7月3日木曜日
広辞苑の「パスタ」
「舟を編む」という国語辞典を題材にしたテレビドラマを、毎回大笑いしながら観ている。
その中で「辞書は世界の入口」という台詞があって、不意に小学生のころ父愛用の広辞苑を内緒で読んでいたのを思い出した。
百科事典もあって子供にはそちらのほうが楽しい要素が多かったのだが、父が書き物をする際には必ず広辞苑が手許にあったので、何となく大人の世界に憧れていたのかもしれない。
いま家にある広辞苑は父の形見だが、これは亡くなる数年前のもので、それまでに何度も買い替えて残った最後の辞書だった。
僕は広辞苑を実用として使っていないが、時折ページをめくって父の残したサイドラインを見つけて、いったいどういう訳でここにラインを引いたのかと想像している。
つい最近も発見したサイドライン付きの項目、、、、「パスタ」。
80歳を超えると、そんなありふれた日常語も新鮮に思えるのだろうか。
そういえば晩年、普段口数の少ない父が酔っ払って「イタリアに行きたいなあ」と言ってたのを妙に覚えている。
イタリアを旅行して、本場のパスタを食してみたいと。
もしや広辞苑の「パスタ」はその伝言だったのかしら。
2025年6月22日日曜日
住みよい街、大阪
「世界で最も住みやすい都市ランキング」というのがあって、大阪の街は上位ランキングの常連なんですね。
万博見学のついでに北浜のホテルに宿泊したのですが、街は静かで清潔、魅力的な飲食店も多く、ここで暮らしてみるのも本当に悪くないと思いました。
僕の記憶にある大阪は、人が多くごみごみとして環境劣悪、活気はあるがとても暮らしに適した街ではないという印象でした。
これは前回の万博当時の記憶ですが、半世紀でまあ随分と変わったものです。
しかも、コペンハーゲンやウィーン、ジュネーブといった世界に名だたる豊かな都市と肩を並べているのだから大したもの。
インバウンドさんたちと並んで洒落たカフェで朝食をとった後、中之島を散策しました。
美術館などと並び広大な敷地に手入れの行き届いたバラ園が広がり、先のヨーロッパの諸都市よりもずっと豊かさを感じさせる風景でした。
いやむしろ、物価を考慮ならずば抜けて住みよい街かもしれません。
最近外国人が積極的にマンションを買っているというのも十分に理解できます。
2025年6月15日日曜日
今年の梅
昨今の気候変動で、梅の収穫状況が極めて悪化しているという知らせを受けた。
梅干しは昨年のストックがあるから、探してダメなら今年の梅干し作りは諦めようと思った。
ところが品質や分量はともかく意外に店頭に並んでいるではないか。
ただし、金額はびっくり仰天である。
キロ当たり3000円から4000円。
だからといって、品質がいいとも言い難い。
去年はキロ1000円前後だったから、コメとは全然比較にならない値上がりだ。
ちなみに10年前なら4Lの良品が500円前後だった。
言いたくないが、そのまえは更に半額で入手できた。
梅干しや梅酒を作る人がいないせいか、そんなこと全然話題にもならない。
これがコメだったら、コメ寄こせの暴動が起きたかもしれないが。
あちらこちら探し回って、結局キロ2000円弱の2キロの梅を確保した。
むろん高価だとは感じたが、時期的にこれ以下はありえないと思い即決した。
手に入れただけ幸運だったと思いたいところだ。
2025年6月9日月曜日
喫茶店の彼女
若い頃は喫茶店によく行ったものだが、中年以降そのような習慣がなくなった。
禁煙を始めたのがきっかけだったか、喫茶店で寛ぐという心の余裕を無くしたせいか、もしくは毎夜酒を飲むのが習慣化したせいなのかもしれない。
何れかの原因があったにせよ、喫茶店嫌いになったわけでないのは確かである。
ただ、喫茶店で目的なくぼんやりと過ごすのが苦手になっている気はする。
しかし旅行という非日常にあっては、そもそもぼんやりと過ごすのが目的なので、喫茶店に入り時間を潰すことも楽しみとなる。
何もせずに、店内の雰囲気を味わったり、追想に耽ったり。
スマホを弄る習慣のない老人には、それが得難い憩いの時間となる。
毎年のように訪れる京都の喫茶店。
外国人客のいない、常連客だけの静かに寛いだ時間が流れている。
そしていつものように、カウンターの椅子に腰かけて、無為の時間を楽しむ。
あれは50年近く前のことだ。
この店で、円形カウンターの対角線上に座っていたのが、当時売り出し中の美人女優だった。
鮮やかな赤いワンピースを着て、周囲の視線を憚ることなく完璧な自信に満ちた表情で周囲を見渡していた。
僕は、世の中にはこういう人も存在するのだと、妙に感心して彼女に見入っていた。
wikiで調べると、あの時彼女は25,6歳だったのか。
その後とんとん拍子にキャリアを重ねたが、その後ちょっとした私生活上のアクシデントが続き、つい数年前にひとり寂しく亡くなったとある。
凡庸な表現だが、天性の華やかさと自信を兼ね備えた、大輪の花のような女優だった。
僕は、あの時座っていたはずの席に腰かけ、しばし彼女のことを思い出していた。
2025年6月3日火曜日
「逝ってしまった」日本
子どものころから統計を読むのが好きで、小学生に頃は「学習年鑑」なるものを読んで国の姿などを学んだ。
例えば、当時の日本は世界一の造船大国であり、「捕鯨オリンピック」ではソ連やノルウェーと金メダルを争っていた。
国民の生活もぐんぐんと向上して、道路の舗装率は50パーセントを超えてきた。
家の周囲が砂利道からアスファルトに変わりだしたので、その実感は大きかった。
GNPという指標を知ったのは中学一年の時、ドイツを抜いて遂に世界第2位の経済大国になった年だ。
テレビニュースを見ながら、子ども心に高揚感を感じたものである。
でも1人当たりにすると世界で20番目くらいで、イタリアとかフィンランドとかいう垢ぬけない国程度だということで、微かな残念感もあった。
だが家では毎年のようにステレオにカラーテレビやエアコンを購入して、豊かな暮らしをしているという感覚は確実にあったと思う
そして、1人当たりのGDPが史上最高に達したのが2000年で、遂に世界第2位となった。
しかし世間の空気はバブル崩壊に続く金融機関の破綻、アジア金融危機という不吉な出来事にかき消され、ほとんど話題にもならなかったと記憶している。
誰もが世界第2位の豊かさを実感することはなく、ましてやこれ以上暮らし向きが向上することはないことを、それとなく肌身に感じていた。
統計上の豊かさが転げ落ち始めたのは、その翌年からだった。
それからたった25年でアジア諸国に抜かれ、世界で40位という中進国にまで転落するとは誰も思わなかったのではないか。
歴史的にみれば、それはアルゼンチンにも匹敵する転落ぶりだろう。
7年前に書いたメモがある。
「ゴールは「如何に中国に勝つか」では最早なく「如何に出来ればドイツやイギリス、又はフランス、最悪イタリア・スペイン位の地位を確保するか、ポルトガル、ギリシャ、アルゼンチンとまで逝ってしまわないか」なんだろう。」
数字上のレベルで言うと、その最悪予想のポルトガルと同レベルにまで至っているのが現状である。
もはや「逝ってしまった」日本であることを認識している人はまだ少ないのではないだろうか?
自分自身、実感としてとても信じられないでいる。
2025年6月2日月曜日
平成の米騒動から令和の米騒動へ
日本人の正気を疑ったのは、平成の米騒動の時だった。
ジャポニカ米がなければ、何食わぬ顔でタイ米を食べればいいし、それが嫌なら麺でもパンでも食べときゃいい。
食料がなくなったわけでもないのに、まるで飢饉が起きたような狂態ぶりだった。
当時は普通に米を食べてたが、若かったこともあり、和食よりカレー料理に中華料理や東南アジア料理などを好んで作っていた。
だから大喜びでタイ米を買っていたのだか、あまりの不人気ですぐに店頭から消えてしまった。
それで晩飯にバケットを合わせるようになり、30数年後の今もずっとその習慣は続いている。
そして、今回の米騒動である。
コメの小売価格は令和の騒動の時を超えたという。
えっ!?
1993年から30年以上もたっているのに、どうして今まで値段が上がっていなかったのか。
当たり前の社会なら、30年も経てばどんなモノでも値上がりするのが当たり前だ。
そうでないほうがむしろ異常なのに。
パンデミック以降、あらゆるモノが一斉に値上がりし、農家だって燃料、肥料、農機の値上がりで経営が大変だったはず。
だから、コメの値上がりは農家にとっても福音であり、経済が正常化したと喜ぶべきなのだ。
食料自給率の維持にとっても、これは避けては通れない道筋だ。
にもかかわらず、メディアは米を買う人たちの行列風景を垂れ流す。
そして大衆迎合のコメントを並べ、政府の無策を非難している。
日本人の正気を疑ったと書いたが、今では正気どころか意識を失ったゾンビではないかと思う。
あれからずいぶん歳を取った。
脂っこいものを受け付けなくなり、食事の量も少なくなった。
ご飯は毎日一膳ちょっとと汁物一杯。あとはパン食。
どれだけ米の価格が上昇しようが、そんなことは取るに足らないことである。
行列の老人たちも、並んでまで買う必要なんて微塵もないはずだ。
きっと彼らは時間を持て余して、遊んでいるのだろう。
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40年近く前の頃だが、日本で最初に発売されたパソコンで、戦争ゲームを楽しんでいたときがあった。パソコンゲームと言っても今のような動画を楽しむものでなく、むしろ将棋ゲームに近い戦略ゲームと言ったようなものだ。ゲームの内容は、歴史上実際にあった有名な戦争を下敷きに、プレイヤーがどうや...
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今年になって万年筆を使うようになった、と書きました。 あれからというもの、ボールペンは必要に迫られたときのみ、従来パソコンに打ち込んでいたテキストも、ごく私的なものは万年筆で手書きしています。 以前は万年筆を使うと決まって肩が凝ったものでしたが、現在はまったく苦痛ではな...

