2011年8月6日土曜日

朝ごはんを食べながら


本日の朝食。自家製ヨーグルトにバナナとコーヒー。一緒にブルーベリーを入れて食べるので、ヨーグルトが見えなくなっている。色の取り合わせがきれいだったので写真に撮った。

さて、朝からニュースが喧しい。国際金融の混乱が収まらない、という。ゴールドが買われて、株や債券が叩き売られている、らしい。伝聞で表現したのは、経済現象は心の動きの反映だから、自分のはともかく他人の気持ちまで分からないという意味を込めた。難しいことは分からないが、お金に多くを依存する人たちの間で、不安な気分が急激に広がっているということだろう。しかし、自給自足的な生活をしている人々にとっては、この世界の風景はまた違って見えているはずだ。

今回の騒動は、国が福祉政策を維持するために借金を重ね、やり繰りが大変になってきたことが原因だろう。だが、年をとったら働かなくても遊んで暮らせる社会なんて、どこかおかしい。本来ならば遊んで暮らすお金は、自分の責任で貯めたお金から出すものだろう。それなのに必要なお金は後の世代にツケ払いして、自分たちは立派な福祉社会を作ったと涼しい顔をしている。もちろん、立派な理念やリクツがあるのは知っているが、それだって人類の長い歴史の中で、ほんのちょっと前に出てきたものだ。明日か明後日には、ゴミ屑のように捨てられる運命にある、一時の流行のようなものかもしれないのだ。これからも同じ騒動が、世界中で繰り返し起きるはずだ。

昨夜遅く、人間の若さを保つ仕組みが分かってきて、製薬会社が開発にしのぎを削っているというテレビ番組を見た。いつまでも若くいたいという気持ちは理解できるが、もう十分じゃないかとも感じた。生物は生殖という役割を終えたら、さっさと死んで、後の世代に活躍の場所を明け渡さなくてはならない。世代を早く繰り返すことで、適者生存を実現し、環境の変化に適応できるようになる。逆にそうしなければ、環境の変化に飲み込まれて、種は衰退か絶滅するしかなくなる。

生物としてのヒトの一生はせいぜい50年。やるべき事を終えたら、そっとこの世から立ち去るのが自然の摂理なのかも。それが無理なら、せめて後世にツケを残さないよう、さっぱりとした暮らしに努める必要があるのじゃないかな。能力もないのに地位に執着し、夜な夜なカロリーオーバーの美食三昧を繰り広げているアレだが、まったく老醜の極み、あのような老人だけにはなりたくないと思う。

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