2013年12月10日火曜日
社会の木鐸
かつて南米チリで、サルバドール・アジェンデを大統領とする社会主義政府が誕生しました。
しかし軍事クーデターによってアジェンデ政権は倒され、多くの知識人や学生、ジャーナリストが投獄されたり命を奪われました。
その暴虐に対して残された妻や母親たちは、毎夜、台所でフライパンを叩くことで、軍事政権への静かな抵抗の意志を示したといいます。
むかし読んだ本に、以上のような記述があったと記憶してます。
静まりかえった夜の住宅街に、孤独なフライパンの音が響きわたる光景を想像してください。
ささやかな抗議かもしれないが、もしかすると次は自分自身の命が危ないのです。
彼女たちに、どれほど強い勇気が必要とされたことでしょうか。
それを思うと心が震えるような気がしたものです。
まもなく特定秘密保護法が公布されます。
表現の自由を著しく毀損し、ひいては民主国家の死を意味するとか、軍国主義への回帰につながるとか、様々なメディアによって危険性が指摘されました。
「普通の市民」と呼ばれる人まで、国会や官邸前で抗議デモをしているとの報道もありました。
額面通りに受け止めるならば、一大事です。
わたしは、民主主義の重要な担い手であり、もっとも影響を受けるマスコミ関係者が、どのような抗議行動をするのかに関心がありました。
なにしろ現内閣が民主主義を否定して戦争の出来る国にするのですから、彼らは命がけで抵抗するはずです。
大規模なストライキで新聞を休刊したり、放送電波を止めたりして、世間の耳目を集め「天下の悪法」を阻止するのだろうか。
しかし、なにもありませんでした。
もしかすると何らかの抵抗はあったかもしれませんが、少なくともそういう情報はこちらまで届きません。
もっとも何も期待していなかったので、そのこと自体はちっとも残念ではありません。
ちょっと、しらけただけです。
なぜなら、法律によって強い影響を受けるはずの人たちが、口先だけの批判に終始するだけだったのだから、実際には彼ら自身が自分には無関係だと考えていると白状しているも同然ですから。
記者クラブみたいな閉鎖的な世界で適当になれ合っていれば、そりゃ間違っても逮捕されたり処罰されたりはしないでしょう。
あるいは、彼らの言う「天下の悪法」という評価自体がいい加減なデマだったとか。法律の必要性は内心認めつつ、ポーズとして反対姿勢を取っただけかもしれません。
社会の木鐸ということばがありますが、あれ、いったいどんな音がするのでしょう。
想像するに、「ペコン、ボコン」と実に情けない音を立てるのじゃないでしょうか。
少なくとも、あの夜空の下に響き渡ったフライパンの音とはまったく異なる種類の音色であることは確かでしょう。
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