2020年7月24日金曜日

「自炊」という名の断捨離


この数ヶ月、世間並みに自由な時間が増えた。それで何をするかというと、やはり断捨離。以前に本を断捨離してさっぱりしたと書いたが、その後また増えたり、保管庫から新たに見つかったりと、さらに処分する必要があった。

ただ、以前捨てたのは、もっぱら娯楽小説のような読み返す必要のない本だったので、残っていたのは時折読み返す、どうしても捨てがたい本ばかり。とはいっても、これに手をつけないと、いつまでももやもやした気分なのも確か。どうすればよいかと悩んだあげく思いついたのが、書籍の電子データ化だった。これまでも保管義務があるような重要書類は、すべてスキャナーでデータ化してクラウドサービスを使い保管してきた。本の場合は処理をするには途方もない分量なのでそのような発想がなかった。しかし、コロナ休暇はちょうどいい機会である。このチャンスを逃す手はないと思った。

作業前にネットで調べると、いろいろと参考になるサイトが見つかる。自分で本を電子データにすることを「自炊」というらしい。著作権の関係なのか、「自炊」という言葉がちょっと後ろめたくていい。幸い十分な時間と便利な道具があったので、あとは手当たり次第本をばらして、次々にスキャナーの投入口に放り込んでいくだけ。時間さえあれば、片手間仕事でできる簡単な作業だ。


学生の頃から持っていた本が意外に多く、ほとんど紙が固く黄ばみ、背の部分の接着剤が硬化して実用に疑問がある状況だった。しかしそれをデータ化してタブレットで読んでみると、想像以上に便利で、なんで今までやらなかったのだろうと軽い後悔を感じた。ひとつには、当たり前だが、本を自由に拡大して読めるので、老眼の不自由さがほぼ解消出来たことにある。これは文庫本サイズの場合に顕著だ。さらに文庫本が、それより値の張るA5判で読めるということを意味するのでコスト的にもうれしい。おまけに本に書き込んだメモもそのままで、この点は電子書籍には到底及ばないメリットだ。


いま、新刊本で読みたいと思う本が少ないので、古本屋で探してそれを自炊して読むというのが、ぼくにとっては極めて都合がいい。浮いたお金で、大型サイズのタブレットを買えば、もっと幸せになれるだろうか。

そのようなわけで、以前から保管していた文庫、新書サイズの本は、ほぼ電子データとなった。なかには読み返すわけでもないのに思い入れで捨てられなかった本も含まれる。寝袋一つで気ままに旅行していたとき、ポケットに押し込んで持ち歩いてボロボロになった本などがそうだ。そういう本は、敢えてカラーで生々しく記録した。今は読まないだろうが、人生の最後のあたりで、若かりし頃をちょっと思い出したいときのために。

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