2007年4月15日日曜日
しょうゆ差し問題
液だれしないしょうゆ差し、なんて幻想。そうでなければ、液だれしないことが製品のキャッチになるわけがない。今までさんざん、あれこれと買い換えてきたが、思うようなものに出会ったことがないのだ。
このあいだも料理をしている最中にしょうゆを注ごうとしたら、注ぎ口が詰まっていて、手順の腰を折られたような気がした。いつものことなのでそれなりの対処をするのだが、そのたびに小さなストレスを感じるのは事実。そして今度こそはと考えた挙句の結論が、これまでの習慣を変えるということだった。
要は、液だれとか詰まりとかは、前回使い終わった後、少量残ったしょうゆが乾いて流れを悪くすることが原因になっている。だったら毎日、しょうゆを使うたびに注ぎ口を洗えば問題は解決する。だけども注ぎ口を洗って乾かす間、蓋を失った容器が乾燥するので、これに変わる何かで蓋をする必要がある。と、注ぎ口のサイズを観察するとこれがペットボトルと、まったく同じことが判明した。
そこで、毎日の食事が終われば、しょうゆの注ぎ口を取り外して洗って乾かす。その間は、いらないペットボトルの蓋で栓をする。翌日、料理で使う出番が来れば、そこで初めてしょうゆ注ぎに蓋を付け替える。そうすれば、液だれや詰まりとは無縁で、気分のいい毎日を遅れるというわけだ。しょうゆ差しの本体はMUJI、替え蓋は適当なものを選んで使う。非常に単純な解決法だが、この一ヶ月続けて、料理中のイライラが消えてご機嫌なのである
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