2016年10月3日月曜日

金沢散策


関西での用事を済ませたあと、遠回りして二度目の金沢を訪れました。前回は学生の時で、当地の学生寮でゴロゴロしてただけでどこにも行った記憶がありません。なので実質今回が初訪問。


たまに小京都などと呼ばれますが、実際に歩いてみると京都とは全然違いますね。街の中心に巨大な城址があり、しかも武家屋敷が多く残り、京都などよりずっと古都の風情を色濃く残す堂々たる城下町でした。


かつては駅の近くにぽつんと高層ビルが一つだけやけ目立つ、斜陽の地方都市という印象があったのですが、今回は様相一変で成長する北陸の拠点都市という印象かな。
念のため統計をみると、実際に前回時より1割方人口が増えている。
もちろん福岡や仙台などの発展とは比べられないが、それでも寂れる一方の私の故郷と比べると、ずっと伸び代があるように思えます。


金沢は観光客が多いと聞いてましたが、もしかして9月末は時期的にオフシーズンかと期待してたのに大外れ。やっぱり観光客が多くて、どこに行って行列に並ぶことが多かった。楽しみにしていた美術館も、入館まで何十分待ちで、館内もすし詰め状態。有名な見所だし、こればっかりは仕方がないか。


そんなわけで、本命の飲食店だってどこも予約がいっぱいで、当日に連絡したのでは全然間に合わない様子。予約を受けない店を見つけ、時間的に少し早いが開店と同時に飛び込んでやっと席を確保しました。そしてこの日は猛烈な暑さで、冷えたビールが本当に美味かった!


当地で私が一番気に入ったのは、食事が美味くて安いこと。味付けが、関西出身の自分にとってちょうど良い感じ。地元産の魚も野菜も酒も、いろいろと目移りして困りました。しかし、名物のノドグロだけはがっつりと食べてきました。


今さら意外感はないのですが、金沢の街も外国の観光客が多く目に付きました。やはり個性ある文化、豊かな歴史、そして美食が楽しめる場所には、少々不便なところでも世界中からお客さんがやって来るんですね。

2016年9月30日金曜日

いま時の大衆実用車に驚く



「大衆車」を意味する海外ブランドの、その中で最も実用的なクルマを購入しました。
つまり、「大衆向け実用車」という色気も素っ気もないクルマ。
というのも、見栄やはったりとは一切無縁の、日常生活の道具として相応しいクルマが欲しかったからです。

前回も述べたところですが、急に買替えが必要となり、感情ではなく論理を詰めればこれしか選べないだろうという、ある意味きわめて消極的な判断で決まったクルマでした。
おまけに我が家の周囲でも、同じ理由で選ばれたに違いない同じクルマがごろごろと生息しており、なんとなく諦め半分の買い物でした。

ところがいざ運転を始め、次第に慣れていくにしたがって、すべてが感心することばかり。
試乗時の印象以上にずっと軽快で、走る曲がる止まるの動作に何の不満もない。
いや不満がないという言い方は不適切か。
感覚的に言うと自分の運転技術が、3割程度上達したような気分を味わってます。
もっとも、つい先日まで20年前のクルマを運転していたのだから、それより悪いということはあり得ないわけですが、何の違和感もなく乗り替えられ、かつ運転が楽しいと思えるのだから、自分にはこれ以上望むことは何もありません。


良いクルマの条件とは、煎じ詰めればたった一つ、長距離を運転しても疲れないことです。
そこで今回、遠方での用事にかこつけ1500キロの長距離ドライブを行いました。
結論から言うと、期待通りほとんど疲れを感じることがありませんでした。

最大の理由は、高速道路を自動走行したので無駄な労力を使わなかったこと、また視力を酷使する夜間走行が信じられないほど楽だったことです。
また、車両の加減速、車間距離の調整、ブレーキ操作が自動で行われるため、足を常時操作ペダルに置く必要がなくなり、悩みの種だった足の疲労がなかったことも大きい。
走行レーンを外れないようにハンドルに手を添え、突発的な事態だけに注意を払っておけば良いだけなので、体力、集中力が落ち気味の中高年にはぴったりのクルマと言えるでしょう。

ここでの技術的な解説はこちら

ちなみに燃費は、高速道路を平均時速100キロで走って、リッター20キロという驚異的な数字。
人の感情混じりの運転でなく、コンピュータが計算尽くで運転するのだから燃費が良いのは当たり前でしょうが、いくら走っても燃料計の針が少ししか動かないというのが不思議な気分でした。
そして、効率的な社会を作るには、人工知能に委ねるべき分野も多く、もっとも非効率な人によるクルマの運転がまさに該当すると感じました。

体に優しく、しかもお財布にも優しいという、驚くべき今どきの実用大衆車。
これまで前世紀のクルマしか知らなかった自分にとっては、文字通り理想的と言って差し支えないレベルのクルマでした。
これから更に10年後を想像するなら、市街地での自動運転が当たり前になり、たぶん人々はクルマへの関心を失い、自分で自動車を所有する意識も無くなるだろうという気がしています。

2016年8月14日日曜日

三代目のクルマ

春を迎えて急に調子が悪くなってしまった「前世紀号」、夏に入ってもはやこれまでという状態に至りました。近所ではすでに同型のクルマを目にすることもなくなり、何ヶ月かに一度、たまに路上で遭遇することがあると、何となく互いに意識して併走、追走することも度々でした。そんな楽しい体験も、今夏でおしまいです。

いつかは今日の日がやってくるのを予想して、折を見ては三代目候補の試乗を繰り返していました。条件は3つ。サイズはできる限り小さいこと、普通に美しいこと、運転して楽しいこと、です。前回にも書きましたが、左足ブレーキが前提なので、以上の条件を満たすものを輸入車の中から探すことになりました。

小さいクルマであることについては、言うまでもなくクルマは社会によって支えられているのだから、社会の迷惑になるようなサイズであってはならないという考えからです。普通に美しいということも同様で、社会に不快感を与えるような、たとえば町並みと調和しないようなデザインは、自分にはとうてい許容できません。運転の楽しさは・・・・、もし運転が楽しくなければ、もはやクルマを所有する理由はないのではないかと。レンタルでもシェアでも不都合がないというか、経済的合理性で考えればむしろそうすべきだと思うからです。

これらの条件を満たすようなクルマばかりならいいのですが、そこは大量生産を前提とした耐久消費財の悲しさよ。多分に少数意見的な自らの価値観と一致する都合のよいクルマなどありません。逆に、デカくて、ラグジュアリーで、セクシーで、自己顕示欲を十分に満たすような素晴らしいクルマならばいくらでも。特に発展途上国で激増するお金持ちに望まれるようなクルマを売ることが、企業にとって最重要課題になってしまった今では、古い価値観を持つ人々が満足するクルマを探すことは一層難しいのではないでしょうか。


これまでに試乗して記憶に残ったクルマを記しておきます。最初に、サイズにも美しさにも目をつむり、それでも買いたいと思ったのは、運転そのものが非常に楽しかったフォードのクルマ。ドライバーの思いのまま機敏に動作する爽快感は、今まで乗った中では出色、ダントツでした。これがもし国産メーカーから出てたらヒット間違いなしだったと断言してもいい。それで迷わず三代目のクルマとして決めたところが、会社の突然の撤退でいきなり梯子を外されました。日本市場では、有名じゃなし、オシャレでもなし、地味さが取り柄のブランドは消えゆくのみ。そういえばオペルなんかもそうでした。


つぎに、3条件はなんとか及第点だけど、それでも不安感を払拭できなかったのがフィアットのクルマ。近所をコロコロと転がすだけなら全然問題ないですが、高速道路の追い越し車線を突っ走るとなるとどうなんでしょう?むろん高速は走らないという選択もありますが、ウチの場合むしろこれから高速道路を使う機会が頻繁にあると予想しているので、やはり性能の余裕は欲しいところです。それでもやっぱり惹かれます。


自分も高齢化することを踏まえ、老人が安心して運転でき、使い勝手も良さそうなクルマとしてピックアップしたのがルノーの新型車。乗り込んでハンドルを握ることは出来たものの、実際に試乗して走り回ることはできませんでした。フィアットと同じく、日常の足としては最高、しかもデザインが威圧的でなく楽しげなところが気に入りました。しかし、安全装備の不足感は否めず、それがかなり残念。もし自分が20代の若者なら、最初に買うクルマとして迷うことなく選んだでしょうに!


初代と二代目は、何の迷いもなく直感的に決めることができ、その後も少しの後悔もなく、最後の最後まで愉快に付き合うことが出来ました。そして三代目。クルマに対する社会のニーズは変化し、私たち自身も年齢に応じたニーズの変化があります。その両者のズレの大きさが、選択肢を狭め、積極的に選択することの難しさを招きました。それで今回は、これまでのような直感ではなく、理詰めの、消去法的な選択です。そしてもちろん、理詰めだの消去法だのといった後ろ向きの選択は、それはたいてい誤っているという経験則を飲み込んだ上での判断でした。

悪いクルマじゃないのですが、自分にはどこかよそよそしく愛嬌がない。愛嬌がないということは、無意識に粗探しをしてしまう、選んだのはそういう種類のクルマです。なのに世間ではけっこう人気があるらしいのです、たぶん運転しやすいからでしょうかね。


2016年8月5日金曜日

左足ブレーキの憂鬱

細くて見通しが悪く、入り組んだ道ばかりが毛細血管のように広がっている街に暮らしています。
こんな場所でクルマを運転していると、十分に注意していてもヒヤリとすることが頻繁にあります。
特に最近は、高齢者やスマホに夢中の若者が操る自転車が増え、左右を確認することなく無自覚に交差点に入ってきます。
窓を開けて見えない自転車の音に耳を澄ませ、慎重に交差点を通過するのですが、それでも目の前に突然姿を現し仰天することがしばしば。
夜はライトを点灯するので相手も気づく可能性がありますが、明るい昼間はほとんど対処のしようがない。
普通の街では考えられないでしょうが、これが我が街の現実です。

それで、いざという時に備え、少しでも早くブレーキを踏むため左足ブレーキを実践しています。
左足は常にブレーキペダルに乗せ、右足はアクセルを踏む以外は外しておくという習慣です。
咄嗟の場合、混乱してペダルを踏み間違えるという指摘もありますが、普段からAT車しか運転せず、長年左足ブレーキを実践していると、緊急時には反射的に左足が動くのでそのような不安はありません。
もし、万が一パニックを起こして両足で両方のペダルを踏みしめても、近年のクルマはブレーキを優先するようにプログラムされているので、やはり停車することには変わりないと言われてます。
すべてのクルマがそうだとは断定出来ないですが・・・。

ペダルの踏み間違いを原因とする自動車事故が増えてます。
どういう仕組みで踏み間違いが起きるのかわかりませんが、そもそも片足で異なる操作を要求する点に無理があるような気がします。
自分が不器用だからなのでしょうが、片足でアクセルとブレーキを交互に踏み換えるというのは、ずいぶんと器用なことだと思う。
まして緊急時に、瞬間的にペダルを踏み替える芸当となると、反射神経が鈍くなってきた自分にはとても無理。
もちろんこれは慣れの問題でしょうが、ならば両足での操作だって慣れの問題であり、だったら自分の慣れた方法で操作するのがベストではないだろうか。

ただ左足ブレーキ派には一つ見過ごせない問題がある。
それは多くの国産車で、ブレーキとアクセルペダルが、右寄りに配置されていることです。
この状態で左足ブレーキを実践すると、体をわずかに右側にねじったようになり、不自然な運転姿勢になります。
国産車は安価で性能のいいものが多いのですが、どれだけ性能がよくてもペダル位置の問題で諦めざるを得ないのが現状。
せめて輸入車並みに、もうちょっと中央寄りにペダルが配置されたらどれほど選択肢が広がるか。
またそのことこそが、自分にとって嫌でも輸入車を選択せざるを得ない理由になってます。

2016年7月12日火曜日

「無料お試し」を利用する

いきなりハードディスクレコーダーが不調になり、新しいモデルを買うはめになりました。
私は主に、ニュースにドキュメンタリー、情報番組などを録画して、夕食後にまとめて飛ばし観をするという使い方。
ゆっくりと番組を観る時間がないので、エッセンスを拾い上げる必要があるからです。

そこで面倒なのは、おそらく誰でもそうでしょうが、番組表から予約録画するという作業。
数日おきに、番組を取捨選択しながら、リモコン片手に指の運動をするのが苦痛で仕方がない。
しかも古い機種なので、操作時の反応が遅く、これが結構ストレスになっていました。

たまたま、指定したチャンネルを24時間丸ごと録画するという便利な録画機の存在を知りました。
これで面倒な予約が不要になり、後から必要な番組だけをピックアップして鑑賞すれば良いのです。
私の場合は、公共放送だけでも丸ごと録画すれば、かなり予約の手間が省けるということに気づいた。
しかし便利な代わりに値段が張るので、いきなりそっちに飛びつくのは、ちょっとした冒険です。
それでメーカーの無料お試しサービスを使って、約3週間、実際に使い心地を確認しました。

http://panasonic.jp/diga/campaign/brx4020/rental/

実際に使用した感想ですが、確かに予約の手間はなくなります。
しかし今度は、録画した番組を探すのが大変でした。
およそ2週間分の番組が常時録画されていて、その中からお目当てを探す手間は、意外にも予約の手間とそれほど変わらない。
操作に習熟すれば、もっと要領の良い方法があるみたいですが、半月以上使って使えなければいくら時間をかけても自分には無理。
これまで長らく使ってた機械だって、その能力の半分も使えなかったのですから。
もっと単純に直感的に操作できたならよかったのですが、多くの機能を望まない私にはかなりハードルの高い機械でした。
値段からすると高級機の位置づけになるのでしょうが、高級だから多機能という古くさい価値観にはついていけません。
割り切って、デザインや使いやすさにコストをかけるという途だってあるのと思うのですが。

それで結局、同じ会社の単純なレコーダーを購入することになりました。
前の機種とは機能的に変わりませんが、基本的な性能は格段に向上してます。
予約の際に動作がもたついた従来モデルと違って、さくさくと動いてほとんどストレスはありません。
くわえてハードディスク容量が大きいので、少しでも気になる番組があれば、残容量を気にせず気軽に予約できるというメリットもありました。

私にとって「無料お試し」ははじめての体験でしたが、未体験の商品を知る上でかなり得るところが多かったです。


2016年7月9日土曜日

投票箱の前で

昨夜、駅近くの投票所で期日前投票を行いました。
この数年、期日前投票の人が目立って増えてきてませんか。
投票所の入り口で、初めて列に並びました。
もしかすると、前回より投票率が上がりますかね。

ちょっと考えました。
政治に対するどうしようもない無力感について。

近代政治のメカニズムについては習った人も多いことでしょう。
大衆の意見や要望が多様なルートを辿ってリーダー層にくみ上げられ、それに対応する政策が打たれる。次に、これに対する大衆の反応が再びリーダー層にフィードバックされ、更に適切な政策が提示される。
この流れがスムーズに循環するならば、政治に対する信頼が生まれ、国民は安心して暮らすことができるわけです。
人の体でいえば、世論という血液が心臓から送り出され、リーダーたる頭脳に運ばれ、国家という体が動かされるというイメージ。
そして心臓に当たるのが、民主体制なかんずく選挙というシステムなのでしょう。

小さな国ならば、このような政治のモデルが妥当しやすいと思う。
それが証拠に国民の幸福感が高いのは、現に小さな国々ばかりです。
つまり大衆とリーダーの距離が近いため、政治が機敏に活動しやすいという長所がある。
だから政治上の不満というのが少ない。

逆に大国になると、大衆とリーダー層とは生まれも育ちも違い、大衆はメディアを通じてしかリーダーたちとの接点がない。
そうなってしまうと、政治に信頼感など持ち得ないですね。
憲法の教科書に書いてある「投票箱と民主政の過程」なんて、そりゃどなたが政権を担当しようとフィクションです。
ただ、大衆にとって最後の砦が投票箱なんですから、やはり無視しちゃだめなんですけどね。

このような観点からすると、巨大な人口を抱えた国家が投票箱で民主政を実現するなどといったことは、本来あり得ないことだと考えるべきです。
そういう国はアメと鞭でしか統治できないし、国民自らもアメと鞭を上手に使い分けるリーダーを望むはず。


「フィールド・オブ・ドリームス」というアメリカ映画ありました。
若い農民の夫婦が主役ですが、作中、村の公民館で図書館の本の選定を巡って議論するというシーンがありました。
道徳的に好ましくない本は図書館から排除すべきだという保守派の動議に対して、その夫婦たちが舌鋒鋭く反論し、動議を否決するわけです。
これがアメリカン・デモクラシー。
そして、その先にあるものが、大統領選挙というわけです。
つまり地域コミュニティをはじめとする様々な中間団体で執り行われる討議と多数決が積み重なって、あの国の民主政が維持されていると考えて良いでしょう。
大統領選挙が金権選挙であることはもちろんでしょうが、しかしその結果に対して反対派が暴動を起こすというようなことは起きない
それはやはり、日常レベルでの討議と多数決があってこそ、国民に民主主義への信頼が共有されているからですよね。

翻って我が祖国。
戦争後、国の形が大きく変わり、経済成長一本槍で来た結果、地方から都市へ人が移動し、地方は寂れ都市は肥大化、多くのサラリーマン家庭は地域コミュニティを形成することもなく高齢化する一方、子供たちは結婚することなく職場や地域で孤立化する。
日本社会に存在する中間団体は、もはや企業と宗教組織くらいしか残っておらず、討議と多数決の育つ土壌を欠いた社会になってしまっている。
ちょっと名の売れたお笑い芸人が知事になるのは悪いこととは言わないが、そういう人しか選べないくらい、私たちは孤独で寂しい国になってしまったということに気づくべきじゃないだろうか。
こんな寂しい社会で、いのちだ平和だ立憲主義だといわれてもね、なんかぜんぜん的外れじゃないでしょうか。
果たして、その空虚なスローガンで心の灯を点せますか。

2016年7月4日月曜日

若者たちへの助言

参議院選挙が近づいてますが、選挙カーの騒音もそれほどでなく、そこそこに平穏な休日でした。
いつもなら期日前投票を済ませているはずが、今回はいきなりの猛暑で投票に出かける元気を失いました。
投票日に並んで投票するのが嫌なので、なんとか今週中にやっつけておきたいと思ってます。

さて今回の選挙から、選挙権の年齢が引き下げられました。
反対意見もありましたが、わたしは素晴らしいことだと思ってます。
18やそこらで政治なんか分からんという、なんだか意味不明で理解できない意見も多かったですね。
18で政治が分からないというのなら、たぶん50になっても分からないだろうし、この先呆けてしまえば何も分からなくなる。
むしろ、国民全員に選挙権を付与して、赤ん坊や幼児はその親が、その子の利益のために代理で投票する権利を与えるべきだと考えるくらいです。

なぜか。
あまりにも高齢者が増えすぎて、現役世代より政治的パワーが強くなりすぎているからです。
本来人間は利己的であり、政治の世界では発言力の強いものが利益を総取りする傾向にあります。
そうすると、発言力のない子供の未来はどうなってしまうのか、それがいちばん心配です。
極論を言うと、年金受給開始から選挙権を停止して、選挙人の世代バランスを図るくらいのことは必要だと思う。

白状すると、自分とて現実の政治のことは全くわからない。
まして実際に誰に投票すれば良いかなど、人柄や見識がわかっていれば別だろうが、政治家と接点のない者にとって投票はほとんどギャンブル。
わずかな主張と写真と名前で選ぶしかないのですから。
実際そのリスクは、18歳だろうが50歳だろうが、変わらないでしょう。
いや50歳の方が様々な偏見でがんじがらめになっている分、間違った判断をするだろうし。

私の場合、いつも意中の候補者がおらず、投票直前か、ひどいときは投票所で鉛筆を握ってから、目の前のリストを眺めて決めています。
いわゆる無党派の典型行動ですが、しかし政治に関心がないわけでない。
出来れば投票行動で人々に貢献したいと願っている。

しかし、なにもできない自分が選挙でやれることを考えると、それはひとつしかない。
すんわち毎回必ず選挙に行って、できる限り女性と若者を優先し、高齢の男性候補者を引きずり下ろすこと。
彼らが有能か無能かは関係なく、できるかぎりすべての国民の利益が政治レベルで公平に反映させることを狙います。
革新か保守かといった茶番の政治スタンスは無視して、機械的に単純に決定すれば足りると思う。
そうすれば、だれもが難しく考える必要なく、気楽に投票できるでしょう?

民主主義にとって、誰を選ぶかということより、毎回投票することこそが重要。
淡々と仕事を片付けるように投票しましょう。
そうでないと政治に絶望したり飽きたりして、投票に行かなくなってしまいます。それが一番まずい。
以上がこんど初めて投票する若者たちへの助言です。

以上のようなアイデアでこれまで投票してきたのですが、同じ主張をしている方がいて、私の暴論もそんなに的外れでなかったのかなと思ってます。

2016年6月25日土曜日

寄り道

今回の旅行で、どうしてももう一度訪れたい場所がありました。
それは奥琵琶湖を抜け、ひと山越えて、ひっそりと隠れるようにある小さな湖
自転車旅行の途中にほんの一時休憩しただけの場所でしたが、あまりにも静かで神秘的な雰囲気に、ずっと戻ってきたいと願ってました。

場所が場所だけに、よほどの機会がないことには行くことはないと諦めてましたが、今回は都合よくクルマだったので、思い切って寄り道してみました。


京都を出発して約2時間、不安になるくらい狭い道をたどって、湖畔の思い出の場所に到着しました。

前回は晴れ渡った晩秋でしたが、今回はしっとりと雨上がりの湖畔風景です。
朝ということもあってか、やはり誰ともすれ違いません。


湖の中程に、漁をする人の小舟が一隻浮かんでいるだけです。
明るいあじさいが、湖畔の風景に映えて美しい。


 その後、東京に戻る途中に食べるため、町でお昼代わりのパンを買い求めました。
通の間では、結構有名かもしれない素朴な味わいのパンです。




短い滞在でしたが、行ってよかったです。

2016年6月24日金曜日

雨の日の小旅行

9年ぶりの京都散歩。
前回は北区周辺を散歩したので、今回は左京区にある銀閣寺界隈を歩きました。
かつて学生時代に住んだところなので、町のあちらこちらに思い出が染みついてます。
とは言うものの、その当時通った飲食店はすべてなくなってしまい、お世話になった銭湯や古本屋も消えてます。
変わらないのは学生の多さと、観光名所くらいでしょうか。



毎日通った哲学の道。


大雪の日の朝、下宿の人たちと雪景色を見に行ったのが最初で最後だった銀閣寺。
今回は雨の降りしきる中での訪問です。



当時と違うのは、観光客のほとんどがアジアの若者たちだったということ。アジアは驚くほど豊かになりました。
あの頃の観光客、外国人は非常に珍しく、いわゆる「アンノン族」の女性たちが中心でしたね。


銀閣寺の後は、岡崎公園の美術館に行き、近くの喫茶店で一休み。
今じゃ死語ですが、ときおり暇つぶしに入った「ジャズ喫茶」。
ここは当時から営業している、ほとんど唯一の老舗ジャズ喫茶です。
建物自体は新しく建て替わってましたが、店内の様子はそんなに変わっておらず、ちょっと感動しました。
ただ、当時の客は学生ばかりだったのに、今は落ち着いた中高年の和みの店に。時間は静かに流れていきます。



そして夜。
ホテルのコンシェルジェに探してもらった「おばんざい」を出す店で晩ご飯。


なにせ関西人ですから、疲れたときはこういう薄味な野菜料理が、たまらなく旨い。
好物、冬瓜の煮物です。


2016年6月11日土曜日

梅仕事、はじまりました。


どこの梅が良いのか実際は知らないですが、初心者としては取りあえず有名どころを使っていれば安心だという感覚で、例年、南高梅を使って梅干しにしています。
ところが今年は、産地で雹の被害が大きく、梅の供給がタイトだという噂を耳にしました。

シーズン開始そうそう、悪い知らせにちょっと緊張しますね。
それで今月に入ってから、マメに店頭を覗き、出荷の具合を確認していました。
あまりに高いならば、関東周辺の梅でもと思っていましたが、特に例年との違いはないようです。
記録を見返すと、むしろ去年の方が高かったみたい。

そして週末の夜、たまたま入った店で熟し始めた梅がうれしい値段で並んでいるのを発見。
去年は粘りすぎて買い時を微妙に逸した反省があって、今年は即断即決でまとめ買い。

さっそく獲物をザルに並べて、追熟に入りました。
これから梅仕事の始まりです。
私にとっては、1年でもっとも楽しい時期であります。


2016/06/12 追記


この二日間、天候に恵まれて、あっという間に色が変わり、嗅覚が変になるくらい甘い香りを放っています。
これ以上放置すると、すぐに変色しちゃうので、予定を切り上げて今日中に塩漬けします。
いつもの年より慌ただしい梅仕事です。


2016/06/17 追記


今年はいつもより梅の分量が多く、一度に塩漬けできない事態になりました。
仕方なく、熟れた順番に何度かに分けて漬け込みます。
ガラス瓶のやり繰りに知恵を絞って、何とか2個に収まりました。
梅酢も順調に上がってきて、あとは土用干しを待つばかりに。

楽しみは、まだまだ続きます。