「人々はなぜグローバル経済の本質を見誤るのか」

5月に予約を入れた本、「人々はなぜグローバル経済の本質を見誤るのか」がようやく手に入った。蔵書数は十分なのに、どこの図書館でも予約待ちが多く、近隣4カ所に又掛けしてやっとこさ読むことができた。地味な本だからかメディアでは話題にならないけれど、やっぱり気になる人はたくさんいるのだ。

本書は、現代社会のありようから湧き上がる多くの「なぜ」を、歴史や経済の動きから統一的に読み解くことを試みている。トヨタが世界一の自動車会社になったにもかかわらず、国内の自動車販売は減少するばかりなのはなぜ。都心には高級ホテルやブランドショップが次々と誕生しているのに、全国的には消費の盛り上がりは感じられないのはなぜ。バブル崩壊から以降、懸命に努力して産業を立て直し、全世界から貿易黒字を掻き集めているこの国が、毎年のように経済的地位を低下させ続けているのはなぜ。

それは、世界のシステムが、国民国家の時代から「帝国」の時代へ変化してしまったからだという。近代は国民国家、すなわち町の旦那衆によって運営されていたのが、21世紀になってみると、数カ国の大旦那によって仕切られる世界になってしまったということだ。とすると、日本のような辺境の国は、否応なく世界のサブシステムに込み入れられることになるわけ。国と国の関係も、主権国家平等の原則からむき出しの実力関係に転化しても不思議でない。

そして他方、マネーや企業は国境を越えて、全世界を一つの市場として活動するようになった。企業活動で使われる言語も、統一されつつある。だから、トヨタのようなグローバル企業はその本籍地とは関係なく、独立した経済主体として振る舞う必要がある。ということは、政府が企業活動をコントロールすることはきわめて限定的となり、政府の統治能力が低下する結果となる。

そうなってくると、大きな流れとして、政治が国民の面倒をみる能力や動機が失われ、政治権力の正当性に疑念が生じてくる。もはや政治部門は有能な人材を獲得することは困難になるだろうし、結果としてますます政治は弱体化するだろう。つまり福祉国家という大きな国家の理念は、前世紀に咲いた徒花として忘れ去られることになりそうだ。ソビエト連邦崩壊のきっかけは、チェルノブイリ原発事故だった。アメリカとの冷たい戦争に敗れたソ連はペレストロイカを進める過程で政治権力を維持できなくなり、巨大な軍事力を抱えたまま最後には消滅してしまった。20世紀のあの国の物語が、21世紀の我が国の物語とはならないと、いったい誰が否定できるだろうか。

とても気になった記述があった。新しい帝国の時代は、希少性の価値が高まるという。それは高度な能力を有する人材、希少資源や先端技術など、それを持つ者と持たない者の格差が広がっていくということだ。言い換えると、そんなものとは無縁の普通の人たちのこれからは大変なのである。これといった取り柄もなく、その上あと半世紀近く寿命があるわたしには、とても荷の重い話である。

専門的な記述、引用の多い取っ付きにくい経済書だけど、門外漢にとっても現代社会の枠組みを考えるための良書だと思う。そして自分や家族の将来の不安に対して、どう対処していいか分からない人にお薦めしたい。

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