「人生論」って、どうなのさ

「人生論」というものを嫌ってきた。今更いい年下げて、他人の安っぽい自慢話など聞きたいとも思わないし、読んでみようかとも思わない。そんな暇があるなら、もうちょっと生産的なことに時間を費やした方が有益ではないかと思っている。

しかし、どう考えても正答のない込み入った状況に足を取られ、何も見えない泥濘のただ中で、ため息をついて周囲を見回す自分を想像する。いや別に悲観してるわけでなく、疲れてもいない。まして、こんな風な生き方に何の意味があるのか、などと愚かしい疑問を持つこともしない。ただ、声を掛ければかろうじて届く距離に、たまたま同じようにもがいている人がいるとしたら、ちょっと挨拶をしたい気分になる。そこで思わず手に取ったのが「途方に暮れて、人生論」なのだ。

おそらくは、数値化し易いゴールを設定し逆算して、ひたすら目の前の小さな目標を消化する生き方が有効性を持った時代は終わっている。そしてゴールは見えないのが当たり前の時代では、未来に保険をかけるのはきわめてリスキーなのだ。だってそれは曖昧な未来を根拠なく信じているに等しいから。私たちに何が必要かというと、解答を求めるのではなく、状況を把握し粘り強く楽しむ姿勢なんだ。今すべきことは、時間を掛けて繰り返し問うこと、想像すること、他者を知ること、その他即効性の期待できない細々とした作業を諦めずにやり続けることだ。

この人生論には解答がない。あるのは著者の「途方の暮れかた」に対する愛着だ。自らが関与する余地が小さいと感じる控えめな人生観と、その一方で予想外に力強い幾つかの信念。学生の頃、解答の付いていない問題集を解いたことがあるが、一冊終える頃には正答が示されない不満より、むしろ自分が大人に近づいたような不思議な満足感を得た。この本には、それに似た面白さを感じたのである。

・「途方に暮れて、人生論」保坂和志

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