「渚にて」

北半球で勃発した核戦争によって、地球全体が放射能に覆い尽くされようとしている。その汚染からかろうじて免れているオーストラリアの都市、メルボルンにも死の灰は確実に接近しつつあった。刻々と近づく人類最後の日まであと半年と迫り、メルボルンの市民たちはいかにしてその日を迎えるかを描いた物語である。

もし余命半年と告げられたら、それまでいったい何をすべきだろうか。思い描いていた夢の実現を望む人がいるかもしれない。世の中に、何かしらの生きた足跡を残したいと願う人もいるだろう。しかし、市井に生きる多くの人にとっては、普段通りの日常を送り、周囲の人々との絆を維持し続けることに執着するはずだ。たとえ世界が壊れつつあっても、そのことは変わらないだろう。

小説の登場人物たちも、やはり同様であった。間もなくやってくる日を気に掛けながら、普段と変わりなく仕事をし、休暇を楽しみ、日常の細々とした家事をやり遂げようとする。先に逝った者たちを想い、残していくペットや家畜たちの心配をし、時に地球の未来を想像する。そして、こういう善良な人たちに対しても、容赦なく死の灰は降り注ぎ、やがてこの物語は、静かに、穏やかに、幕を下ろす。

この小説に感銘を受けるのは、なんといっても人々の暮らし方を丹念に描いている点にある。設定は、何も人類最後の日でなくても構わない。生まれ育った土地を愛し、隣人を愛し、日々の生活を大切にする。そういう人たちによって支えられた社会の営みが、格別の愛情をこめて描かれている。愛国心などという浅薄な心情を必要としない、強靭でしなやかで、豊かな社会だからこそ、最後の日を迎える直前まで市民生活が維持されるのだ。たしかに物語の結末は悲劇だが、著者の視点はむしろ、平和の大切さという観念的なことでなく、平凡な毎日の暮らしを楽しむ社会の健全さや強さを描くことにあったのではないかと思った。

私にとってはグレゴリー・ペックが主演する映画「渚にて」が印象に残っていたが、今春、新訳版となった本書「渚にて」にも深い感動を覚えた。それと同時に、核兵器を弄ぶごろつき国家に対して、心の底から強い怒りを感じた。

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