散歩と社会考察


社会の動きを知るために、いつも大都会の息吹に当たるべきとの意見があるが、都心部はある種独特の動きをするので、社会の底流にある静かな動きを知るには向いていない。巨大なビル群が林立するオフィス街や都心の繁華街を歩いたところで、分かることは大ざっぱな景況感と流行のファッションくらいだろう。スーツを着た建前の街より、柔らかな脇腹を見せるちょっと田舎の方が、散歩するには遙かに楽しい場所であるのは、その辺りの違いではないかと思う。

わたしの散歩コースは、行き先ごとに概ね決まっている。最短距離を歩くためでなく、歩いて楽しい道を探っているうちに、次第に順路が固まって出来たものだ。決まり切ったコースを歩いていても決して飽きることはなく、注意深く観察すれば街や路上の様々な変化に気づかされる。自然や景観の変化は当然だが、町並みの変貌から社会そのものの変化だって伝わってくる。たとえば金融危機のあと、ほどなくして銀行の社員寮が取り壊され、マンションやら老人ホームに建て変わったのを多数目撃した。建具屋とか畳屋とかいう伝統的な生活スタイルに密接した商売が、跡継ぎもなく高齢化して廃業してしまったのも嫌というほど見てきた。それからITバブルのころ、いかにもバブル銭で購入しましたという匂いのする、薄っぺらで寂しい豪邸がぽんぽん建って、その後知らぬ間にもぬけの殻になったりもしていた。

この数年で顕著になってきたのは、パン屋やカフェ、文房具店などといった小商いの店が増えたこと。長い間、空き店舗だったところや、ガレージ代わりにしか使われていたかった空間に、小さな店がひっそりと誕生している。少ない資金で開業しようと思えば、誰も手を出さないような立地の、古い家屋をそのまま借りて始めるのが安全だからだろう。店主はそのほとんどが若い人たちで、開店当初どこか頼りなさそうな表情で通りを眺め続けているのを見ると、思わず応援したくなるのだ。しばらくして客が増えてくるのを見届けては、自分のことのようにほっとしている。人通りの少ない寂しい街に、ポツンポツンと新しい店舗の光が増え、夜道の散歩がいっそう楽しくなってきた。

社会の意識変化が感じられる商売も増えている。このところ急に靴や鞄を修理する店が増えた。もちろん以前から同じ商売はあったが、そういう店よりずっと個性的で、いつまでも大切にしたい靴や鞄でも安心して任せられる雰囲気がある。皮革製品は長く大切に使ってこそ醍醐味があるという価値観に、社会が気づき始めたのだろう。単なるリサイクルショップではなく、セレクトショップ風の古道具屋も見かけるようになった。古くても、いやむしろ古い時代の価値を、積極的に評価しようとする社会意識の変化だ。そのことは、外観はボロアパートなのに、その中で非常にセンス良く暮らす人たちが増えてきたことからも想像できる。価値観が広がりをもって多様化しているのだ。

高齢化社会は、「時間」という長い物差しで価値判断をすることを可能にした。高度な情報化社会は、無数の意識の共有を急激に進める。モノゴトの評価軸は、恐ろしく多面的で複雑化し、その評価の仕方そのもので社会集団が細分化されることだろう。「一億総中流」とは、社会がきわめて大雑把な構造だったころの、大量消費社会に適合した社会意識だったに違いない。みんなが豊かだったから「総中流」なのではなく、流れが一方向の、単純でつまらない社会だったからそのように表現できたのだ。やや逆説的だが、総中流社会が崩れ去り、多様な価値観があらゆる方向に渦巻く複雑な社会になると、お金のあるなしにかかわらず、ずっと実質的な豊かさを感じさせる社会になるような予感がする。

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