2010年4月10日土曜日

夜桜

「向こうにいたときはね、サクラの花を愛でる習慣のある人たちって、なんて哲学的なんだろうと思っていたの。わたしだけじゃなくって、周囲の人たちもみんなそうだったの。」と、彼女はなにやら愉快そうな調子で言った。そりゃ、そうでしょうとも。よりにもよって一番美しい季節に、肝心のサクラなんかそっちのけでどんちゃん騒ぎするのだから、実際に目前に繰り広げられた光景に、さぞ呆れかえったことだろう。

呑兵衛であるわたしも、もちろんブルーシートに陣取った酒盛りは嫌いではない。しかし本当にサクラを愛でるなら断然、深夜の誰もいなくなった静かな時間帯がいい。暗がりに、微かな光を反射して浮かび上がるサクラの白い花びらが、夜風に運ばれて舞い散る様子が何よりいい。決して哲学的とは言えないものの、サクラの散り際の美しさに永遠の時間を感じ、翻って自分の命の短さを思う。両手で掬った砂がサラサラと止めなく落ちていくように、このたとえようもなく大切な一瞬さえも刻々と記憶の果てに押し流されていく。この無常観、普段は意識しない単純な真実を、なぜか深夜のサクラの木の下で思い返すのである。

夜桜を眺めるたびに、無意識に脳裏に浮かぶ曲がいくつかある。その中でも真っ先に浮かぶのは、何といってもビル・エヴァンスの作曲した"Blue in Green"。特に"Kind of Blue"に収められた同曲が絶品。マイルス・デイビスのトランペットから継いで、暗闇に漂うように響くビル・エヴァンスのピアノの素晴らしさといったら、この感動をどう表現すればいいのだろう。純粋な美をすべて音に置き換え、人の感情を超えたところに永遠の空間を作り上げている。そのように感じる曲なのである。そして、この曲を脳内で密かに再生しながら、サクラの散るさまを凝視するわたしは、もしかするとウォークマンのCFのお猿さん程度には哲学的に見えているかもしれない。

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