2010年7月28日水曜日

靴ベラ


旅行にはくたびれた靴を履いていく。履き慣れているので、靴擦れなどのトラブルの心配がないからだ。しかし単なるボロ靴では困ったことになるので、事前に十分な手入れをしておかなくてはならない。旅行中に良さそうな靴屋を見つけると、何はともあれ店内を物色する癖があるからだ。何しろ相手は足元を見るプロ、靴の手入れすらできない一見の客に真剣になるはずもないだろう。だから、店の扉を開き一歩足を踏み入れる時が一番緊張する。

世間的に有名な靴屋は苦手なので、現地で評判のいい靴屋の所在を聞くこともある。すると、たいてい自分が日ごろ贔屓にしている店を紹介してくれる。価格は控えめだが、品揃えのしっかりした個人商店がほとんどだ。そこで時間をかけてじっくりと、店の中を何度も往復して、自分に合う靴を探す。決して焦らない。ようやく絞り込んで「この靴がいいな。」というと、「実は私のお気に入りなんですよ。」と微笑んで自分の足元を、ほら、と見せる。買い物というのは、何を買うかではなく、どのように買うかが大切だと確信する瞬間だ。

イタリアのとある町で、靴と一緒に求めた靴ベラが、突然折れてしまった。その物静かな老店主は、靴のサイズも聞かずに、最初から私にぴったりの靴を差し出し、それだけで私はすっかり観念したものだ。夕日の差し込む長細い店内の両側には、天井までぎっしりと靴箱が積み上げられ、靴の歴史の違いを無言で示していた。そういう旅の記憶が付着した靴ベラなのだ。折れた部分にヤスリをかけて滑らかにし、ドリルで穴を穿って、そこに水牛の革紐を通してみる。微妙にいい感じに仕上がった。

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