2010年8月11日水曜日

アイリーン・クラールのCD


残念なことに、この人の歌には華やかさがない。多くの観客を熱狂させるカリスマ性もない。若くもなく、そしてたぶん、すれ違う人の視線を奪う美貌にも乏しい。しかし、歌の華やかさや、歌手のカリスマ性とか、移ろいやすい容貌にさほど関心がない人たちにとって、彼女の歌には、それ以上に大切なことすべてが含まれていると感じることだろう。

華やかさの代わりに、一つ一つの言葉を巧みに歌い分ける知性とテクニックがあり、その歌はモノクロの美しい短編映画を見ているようだ。大衆受けしないのは、むしろこの歌手への勲章となるだろう。いつの時代でも、声の大きな騒がしい人たちが主役なのだから。地味で、幾分痩せて聞こえる声だが、そこには人生経験がもたらす成熟がある。さらりとした触感でありなりがら、偽りを嫌う誠実さとしなやかさを感じさせる歌声だ。

静まりかえった深夜に、アイリーン・クラールのCDを掛ける。部屋の薄暗い空間に、ふわりと鮮やかな歌声が立ち上がる。その言葉の美しさ、巧みさといったら、一度聞けば忘れられないはずだ。ちょっとばかり表現に難渋するが、癒されるとか励まされるとかではなく、歌に込められた魂にただ寄り添う幸せ、そういう密やかな感動で満たされる。そして選曲も凡庸でなく、そのどれもが素晴らしい出来だ。大袈裟で、けばけばしい歌に食傷気味の人たちに、特におすすめしたい歌手なのである。

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