「無縁社会」

無縁社会」を扱ったTVドキュメンタリーを見た。親兄弟、友人たち、地域社会との絆が切れて、孤独な生活を送る、もしくは送った人たちの話だ。本放送の際は、ずいぶんと視聴者の反響が大きかったという。誰も口には出さないが、それぞれが孤独に怯えているのだろう。たとえ今、家族に囲まれ、ひとかどの社会人として活躍していても、将来がどうなるのか誰にも分からない。

あるとき道ばたに倒れている人がいて、近づいてよく見ると負傷していて、おまけに靴を履いていなかった。息があったのであわてて救急車を呼んだが、到着したときには手遅れだった。すぐ後から警察官もやって来て、集まった人たちに身元を確認しようとしたが誰も知らない。そこで、その人のポケットを探ると、ゲームセンターの会員証が見つかり、ようやく傍の大きなマンションの住人だということが判明した。そこは頻繁に人が通る道で、私が来るまでの間みんな知らん顔して通り過ぎていたのだ。素晴らしく天気のいい、ある休日の昼間の出来事だった。

それから数週間が過ぎ、同じ場所を歩いていたら、偶然に調査中の保険会社の人に声を掛けられてそのときの事情を話した。そして会話の中で、その人が一人暮らしだったこと、生命保険の受取人がお母さんだったことを知った。どういう理由があったのかは知らないが、本当に寂しく悲しい話だ。たまたま関わりを持つことになった人に対して、あの時何をしてあげればよかったのだろうかと、今も時々考える。

人類の長い歴史の中で、今ほど自由で豊かで安全な暮らしが営める時は無かっただろう。「ないのは希望だけだ」とは、実によく言ったものだ。しかし、たとえ希望がなくても生きなくてはならないし、孤独にも耐えなくてはならない。いつの時代だろうと、誰にもそういう時が、必ずやって来たのだから。そのことを覚悟しつつも、私は以来、すこしだけお節介な人間になろうと努めている。
先のドキュメンタリーの中でも、近所の子どものお節介が、一人暮らしの中年男の心を慰めていたエピソードが語られていた。さすがにホロリと来たね。

コメント

  1. 私も以前の放映で「無縁社会」見ました。
    見終わった後とても身につまされ、
    自分にできることは何があるだろう?と考えてしまいました。
    "少しだけお節介"というのはいいですね。
    引っ込み思案ゆえ、ちょっと勢いが必要ではありますが、
    私も少しだけお節介な人間になりたいと思いました。
    atoさんのように行動できる人になりたいです。

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  2. umeさん、こんばんは。
    確かにお節介をするのは、ちょっとした勇気が要りますよね。
    誰でも最初は慣れないものですが、しかし回数を重ねると存外平気になるものです。
    たとえばスーパーのレジで、買い物かごを置くのを難渋しているお年寄りを見たら、すぐに一声掛けて助けるとか、そんな簡単なことを繰り返しているうちに慣れてきます。
    わたしなんかがするより、むしろumeさんのような方のほうがずっと喜ばれると思います。わたしの場合、何しろ人相が悪いから(笑。

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