2010年12月25日土曜日

山口瞳の本

急に疲れが出て、丸一日寝込んでいた。寝るだけでは惜しいので、ベッドの中に本を持ち込み、読書とうたた寝を繰り返す。体はきついが、こういうのは意外に嬉しい状況でもある。

読んだのは、山口瞳の「江分利満氏の優雅な生活」と「山口瞳の人生作法」。山口の作品を読むのは「世相講談」以来、何年ぶりだろうか。そのむかし、成人の日の朝刊だったかに例年、洋酒会社の広告が載り、氏からの新成人に対するメッセージが伝えられていた。社会人の心構えとか、酒の付き合い方とか、まことに小うるさい広告だったが、毎年それを読んでは我が身を振り返ったものだ。何が書いてあったのか忘れてしまったが、その一部でも自分のスタイルに反映されていれば嬉しい。

「人生作法」に山口が高橋義孝と深い交友があり、人生の師と仰いでいたとの記述があった。そういうことだったとは初めて知った。駆け出しの頃、高橋義孝の風貌に惹かれて、その著書をせっせと読んでいた時期があり、できるなら先生のような酒飲みになりたいと思っていた。そしてその前に好んで読んでいたのが、高橋義孝の師匠に当たる内田百間だった。ちょうど師弟が三代続いて、その関係も知らずに彼らの文章を愛読したことになる。さらに、その山口が本のイロハ、遊びかたを手ほどきしたのが伊丹十三であり、また作家としてその才能を高く買っていたのが向田邦子だったと。当ブログでもたびたび取り上げる人たちを含め、お気に入りの作家たちがずらりとつながっているに驚く。

今は亡き作家たちの容貌を思い返すと、一人一人が個性的であり、厳しい大人の顔を持った人たちであった。そして自分のスタイルを崩さないモダンな都会人だった。わたしが好んで彼らの本を読んだのは、作品がどうのこうのということでなく、つまりそういう大人の都会人に憧れていたからだと思う。また、現役作家の作品にあまり食指が動かないのも、同じ理由からなのかも知れない。草田男じゃないが、「昭和は遠くなりにけり」である。

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