2011年2月19日土曜日
風景
安定を得たければ、変化を避けてはいけない。もし今、平穏ならば、自分から混乱の中に入っていく必要がある。安定した仕事に就き、家を持ち、暖かな家族に囲まれて暮らすのは、誰しも望むところだが、その代わりなにかしら大きな代償を払っているものだ。
仮に代償を払っていないなら、これからそうなるかもしれない。もしかすると見知らぬ誰かに、そのツケを押しつけていることを心配すべきだ。自分にとって都合のいいことは、何かの犠牲によって実現されている。謙虚であるべきだ。
世の中には、心の平穏を得るために、一切の欲望を捨てて、ひたすら人々の幸福を祈る人たちがいる。すべてを得るためには、すべてを捨てなくてならない。もし得たものがあれば、それは誰かに与えなくてはならない。何かを失ったならば、決して嘆くことなく何を得たかを考えるべきだ。
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