夢見る「夢の島」

5月に書いた文章ですが、落ちも何もなく放置してました。
入院中を利用して、少し書き足し、気の利いたタイトルを考えてみました。
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「日本は、夢の島にそびえ立つぴかぴかの超高層ビル」
4半世紀前に、ある経済書の中で描かれた日本の姿です。
もちろん、「夢の島」といっても、その当時の埃っぽい埋め立て地のことで、広大なアジアの比喩です。


空が黄色く曇り、風が強く吹いて埃っぽい休日の午後のことです。
顔見知りの年配のご夫婦と世間話をしたおり、黄砂被害に話題が移ったところで、普段から知的で温厚なご主人が中国に対して不快な感情を露わにしました。
年齢的には、おそらく中国に対して強い親近感を持っていてもおかしくない方だったので、これにはびっくりしました。

我が年老いた母も、中国や朝鮮半島の話となると、近ごろはやはり同様の反応を示します。
以前は決してそんなふうな感じではなかったのですが、意外にも高齢者たちに排外主義的な広がりを感じます。
書店の棚には、近隣を批判する本がそれこそずらりと並んでいます。
出版社とて商売だから売れる本を出すのが当たり前ですが、売れればオーケーの安っぽいナショナリズムが横行する風潮にはついて行けません。
かつての中国ブームや韓流ブームとは、一体何だったのでしょうか。

そのむかし、「ソウルの練習問題」という本が話題になったことがありました。
思想的な偏向がない、自然体の若者が未知の国に旅行して、様々な体験をするルポルタージュです。
当時の日本人にとって、韓国とは不気味な軍事独裁政権の続く、寒くて暗い貧しい国であり、およそ健全な旅行者が立ち寄る場所じゃなかった。
そして海峡を越えてやってくる人たちの多くは、男性相手の歓楽街で息を潜めて生きている。そういう時代でした。
このような日本人の先入観を覆し、ごく普通の人々が暮らす韓国という国を、混じり気のない視点から初めて描いた画期的な本でした。
いつの日にかアジアの国々が発展すれば、自分たちがそうであるように、当たり前に普通の人々が行き交う時代が来るに違いないと、この本を読んで確信したものです。


この冬のバーゲンシーズンの頃だったのですが、久しぶりに表参道に立ち寄る機会がありました。
そこには、まるでどこかアジアの街角に立っているような錯覚に陥るくらい、バーゲンの買い物をするアジアの若者達が数多く行き交ってました。
余裕のある中高年ばかりでなく、貧しい若者達ですらLCCで国境を越え、日本のバーゲンシーズンを楽しんでいるという事実に、改めて時代の変化を感じました。
現代のヨーロッパと同じように、アジアでも国境を越えて気軽に人々が普通に買い物をするという、私が若い頃に夢想したことが現実になりました。
老人たちの複雑な思いとは関係なく、どんどん世界は小さくなっています。


とはいうものの過去の複雑な経緯から、アジアの国々が今後順調に和解することは非常に難しいと感じます。
ようやく彼の国々にも中産階級が育ち、経済的なゆとりが得られたと思う間もなく、世界的な社会の二極化が深刻な影響を与えだしたという不運。
加えて、豊かな日本が苦しむ人口減少とは比較にならないくらい、急速で巨大な人口減少がそれほど豊かにはなっていない国々を襲いだすという不幸。
世界全体と連動する国内的な混乱と、対外的な軋みが、私たちの暮らしを不安定に揺さぶり続ける時代になってしまいました。
蓄積のある日本を除き、他のアジア諸国が紛争や動乱を起こさずにうまく軟着陸するのは、きわめて厳しいことでしょう。
その時、日本の国は、地域安定のための賢いリーダーシップを発揮できるかが問われてきます。
一国平和主義というエゴイズムから離れて、たとえ貧しくなろうとも、アジア諸国から信頼される国に脱皮すべき時代が到来しつつあると思います。

みんなが平等に夢見ることのできる「夢の島」を目指して。

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