男の小遣い

サラリーマンの今年の小遣いは過去2番目に低い金額で、1979年の調査開始以来最も少なかった1982年に次ぐ低水準だった、という記事を読みました。
サラリーマンが懸命に稼いだ結果の、その手許に残る自由なお金が、なんと33年前と変わらない低い水準であるという。
このご時世にいい歳のおじさん達が、一日当たり千円ちょっとしか小遣いがないというのは、あまりにも厳しい待遇だと言わざるを得ない。

それで思い出したのが、亡き義父がわたしと顔を合わすたびに「小遣いは足りているのかい?」と尋ねてくれたことでした。
もちろん満足していたわけではなかったが、所帯を持てば足りないのが当たり前と観念していたので、いつも笑って大丈夫と答えていました。
義父は、男が品位を保つためには相応の小遣いが必要であり、事欠くようだと家庭生活にも悪い影響をもたらすと固く信じていて、それで日頃からわたしの懐具合を気に掛けてくれていたわけです。

池波正太郎の随筆に、次のような文章を見つけました。

(持ち)家のために、働き盛りの男の小遣いが消えた。
男の小遣いに余裕がなくなれば当然、その国の余裕も消える。
むかしの男たちは、どんなに貧乏をしていても小遣いに余裕があった。
その余裕が、世の中にうるおいを与えていたのだ。
いまは家が人の心を食い荒らしている。
・・・・

男たちにとって、過剰な持ち家信仰は迷惑なんだよね。
家があればそれに越したことはないだろうが、しかし持ってなくても全然不便でない。
せいぜい世間体が気になるかどうかの違い。
その程度のことだったら、家はなくとも小遣いに余裕のある方が人生を有意義に過ごせると思う。

本来は善良なおじさんたちが、ふとした弾みで破廉恥で情けない犯罪に走ってしまうのも、元をただすと小遣い不足にあるのじゃないかと、そんなふうに考えるこの頃です。

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