2016年1月17日日曜日

ハグする。

「ハグ」という言葉を知ったのは、例の某有名出版社社長事件の時でした。
今じゃ普通に使われますが、そのスキャンダル以前は通常使われなかった言葉です(断。


ニューヨークに出張した折、妻への土産にコートを買って帰ろうと思った。
そこでブルーミングデール百貨店に行ってみると気に入ったものがあったのだが、さて肝心のサイズがわからない。
そこで一計を案じる。
妻と体型の似た店員に腕を回し、自分の記憶と照らし合わせてサイズを求めた。
それが運良く、ちょうどぴったりだった。

という、ある評論家のエッセイを読んだのは高校生の頃。私のことじゃないですよ(笑。
当時はなるほどなあと感心したものだが、今になって考えるとずいぶんと日本人離れした方だったと思う。
それに奥さんが、夫がサイズを記憶できるくらいハグする相当に魅力的な人だったのでしょう。
これ、単なるのろけ話ですよね。


話は変わって、、、
自分の目の届かない場所で、突如として最愛の人を失うという悲しみは、それがどれほどのものかは想像もつきません。
しかし、出かけ際や別れる際に、ちゃんと挨拶をしておかないと、悲劇が起きてからひどく後悔するのは確実。
「行ってきます」「行ってらっしゃい」と声をかけ、相手の元気な姿を記憶しておかないと、もしそれが不幸にして最後の機会になったとしたら、どんなに自分を責めることになるやもしれません。
少なくとも私自身はそうなると思ってます。

そうならないために、うちでは出かけ際に必ず、「お互い気をつけてね」と言いつつ、軽くハグし、背中をぽんと叩いて邪気を払うようにしてます。
これはまあ、一種の切り火祓いみたいなもの。
以前はそんなことしなかったのですが、テロや大災害、理不尽な事故を見るにつけ、いくら自分たちで用心していても避けることができないこともあると覚悟するようになりました。
ましてある程度の年齢になると、外で勝手にぽっくり、ということも全然稀でないですから。


テレビではまた、あの震災の様子が流れています。
大災害の前では、あまりに人間は無力だと思い知らされます。
だからこそ、たとえ面倒でもハグをしてお互いの今日一日の無事を確認し合う。
これからも平穏とは言えない時代が続く限り、簡単に出来ることは決して手抜きしない、という気持ちからです。

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