2016年6月6日月曜日

災害と住宅

災害と住宅について、強く共感できるブログ記事が出てました。
http://www.tachibana-akira.com/2016/06/7247


私の故郷では、21年前の震災で、多くの人が家を失いました。
その中には、運悪く、やっと手に入れた新居で、初めての正月を祝った家族もありました。
しかしその人たちの幸せは震災で一瞬にして崩れ去り、後には支払いの終わっていない巨額のローンだけが残ったのです。
このような事実は、当時の自分にとって強烈な教訓となりました。

損壊したのが戸建てならば、資金さえあれば再建は比較的容易でしょう。
しかし集合住宅の場合、全壊ならまだしも、一部損壊の場合では、住民の利害関係が複雑に絡みあって、合意形成は困難を極めます。
集合住宅は、居住者の年齢、財政状態、価値観がばらばらのため、建て替えにせよ、補修にせよ、すんなりとは決められず長期間不安定な生活を余儀なくされるわけです。

#当時の状況を描いた本として「震災ファミリー」が参考に。
http://www.heibonsha.co.jp/book/b162204.html

このような状況を伝え聞き、私は愛着のあったマンションを引き払い、賃貸に住む決断をしました。
一つには、そのマンションが古い耐震基準であり、しかも地震に弱い形状をしていたので、いざという時に非常に危険だったからです。
そうでなければ、また違った判断があったかもしれません。

あれから20年がたち、これまで支払った家賃の総額はかなりのもになりました。
いっぽう以前の部屋は、人気のある場所にあるので、古くはなっても当時からあまり値段は下がっていないみたいです。
いまでもその建物の前を通ることが多く、ときおり懐かしい部屋を見上げることもあります。
そしてあの決断は正しかったのかと、自らに問いかけます。

でも、支払った家賃が勿体ないという感覚はありません。
むしろ、持ち家幻想から自由になり、どのように暮らすべきかという大きなフレームの、その一部分の問題として、住宅問題を柔軟に考えられるようになったことは収穫でした。

もちろん持ち家が嫌だというわけでなく、むしろ条件が合えばいつでもという気持ちがあります。
しかし、今この瞬間にも巨大地震が起きても何ら不思議はないという状況では、今後予想される地震が通り過ぎるまでは、いくら欲しくたって、持たないという判断が無難じゃないか。
少なくとも一般論として、過大な借入れを前提とした住宅の取得は、極力避けるべきではと思う。

更には、仮に地震が起きなかったとしても、こんご人工知能の高度化によって労働環境が激変する可能性や、国力の縮小による経済状況の悪化など、2,30年はおろか10年先でさえ不透明なこの時代に、長期間の安定的な収入を前提とした経済的決断は、個人にとってあまりにリスキーです。
少々肩身は狭いものの気楽な賃貸暮らしの方が、地震保険なんかより、これからの時代、何よりの保険になるのじゃないでしょうか。

それでも諦めきれないなら、上記ブログにも示唆がありましたが、家の代わりにREITでも買って、家賃代わりの配当をもらい大家の気分を楽しむのも一手かもしれませんね。

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