2016年8月14日日曜日

三代目のクルマ

春を迎えて急に調子が悪くなってしまった「前世紀号」、夏に入ってもはやこれまでという状態に至りました。近所ではすでに同型のクルマを目にすることもなくなり、何ヶ月かに一度、たまに路上で遭遇することがあると、何となく互いに意識して併走、追走することも度々でした。そんな楽しい体験も、今夏でおしまいです。

いつかは今日の日がやってくるのを予想して、折を見ては三代目候補の試乗を繰り返していました。条件は3つ。サイズはできる限り小さいこと、普通に美しいこと、運転して楽しいこと、です。前回にも書きましたが、左足ブレーキが前提なので、以上の条件を満たすものを輸入車の中から探すことになりました。

小さいクルマであることについては、言うまでもなくクルマは社会によって支えられているのだから、社会の迷惑になるようなサイズであってはならないという考えからです。普通に美しいということも同様で、社会に不快感を与えるような、たとえば町並みと調和しないようなデザインは、自分にはとうてい許容できません。運転の楽しさは・・・・、もし運転が楽しくなければ、もはやクルマを所有する理由はないのではないかと。レンタルでもシェアでも不都合がないというか、経済的合理性で考えればむしろそうすべきだと思うからです。

これらの条件を満たすようなクルマばかりならいいのですが、そこは大量生産を前提とした耐久消費財の悲しさよ。多分に少数意見的な自らの価値観と一致する都合のよいクルマなどありません。逆に、デカくて、ラグジュアリーで、セクシーで、自己顕示欲を十分に満たすような素晴らしいクルマならばいくらでも。特に発展途上国で激増するお金持ちに望まれるようなクルマを売ることが、企業にとって最重要課題になってしまった今では、古い価値観を持つ人々が満足するクルマを探すことは一層難しいのではないでしょうか。


これまでに試乗して記憶に残ったクルマを記しておきます。最初に、サイズにも美しさにも目をつむり、それでも買いたいと思ったのは、運転そのものが非常に楽しかったフォードのクルマ。ドライバーの思いのまま機敏に動作する爽快感は、今まで乗った中では出色、ダントツでした。これがもし国産メーカーから出てたらヒット間違いなしだったと断言してもいい。それで迷わず三代目のクルマとして決めたところが、会社の突然の撤退でいきなり梯子を外されました。日本市場では、有名じゃなし、オシャレでもなし、地味さが取り柄のブランドは消えゆくのみ。そういえばオペルなんかもそうでした。


つぎに、3条件はなんとか及第点だけど、それでも不安感を払拭できなかったのがフィアットのクルマ。近所をコロコロと転がすだけなら全然問題ないですが、高速道路の追い越し車線を突っ走るとなるとどうなんでしょう?むろん高速は走らないという選択もありますが、ウチの場合むしろこれから高速道路を使う機会が頻繁にあると予想しているので、やはり性能の余裕は欲しいところです。それでもやっぱり惹かれます。


自分も高齢化することを踏まえ、老人が安心して運転でき、使い勝手も良さそうなクルマとしてピックアップしたのがルノーの新型車。乗り込んでハンドルを握ることは出来たものの、実際に試乗して走り回ることはできませんでした。フィアットと同じく、日常の足としては最高、しかもデザインが威圧的でなく楽しげなところが気に入りました。しかし、安全装備の不足感は否めず、それがかなり残念。もし自分が20代の若者なら、最初に買うクルマとして迷うことなく選んだでしょうに!


初代と二代目は、何の迷いもなく直感的に決めることができ、その後も少しの後悔もなく、最後の最後まで愉快に付き合うことが出来ました。そして三代目。クルマに対する社会のニーズは変化し、私たち自身も年齢に応じたニーズの変化があります。その両者のズレの大きさが、選択肢を狭め、積極的に選択することの難しさを招きました。それで今回は、これまでのような直感ではなく、理詰めの、消去法的な選択です。そしてもちろん、理詰めだの消去法だのといった後ろ向きの選択は、それはたいてい誤っているという経験則を飲み込んだ上での判断でした。

悪いクルマじゃないのですが、自分にはどこかよそよそしく愛嬌がない。愛嬌がないということは、無意識に粗探しをしてしまう、選んだのはそういう種類のクルマです。なのに世間ではけっこう人気があるらしいのです、たぶん運転しやすいからでしょうかね。


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