2020年1月1日水曜日

人生はゲームのように

40年近く前の頃だが、日本で最初に発売されたパソコンで、戦争ゲームを楽しんでいたときがあった。パソコンゲームと言っても今のような動画を楽しむものでなく、むしろ将棋ゲームに近い戦略ゲームと言ったようなものだ。ゲームの内容は、歴史上実際にあった有名な戦争を下敷きに、プレイヤーがどうやって史実を覆すことができるかという無理難題を達成するものだった。もちろん史実に基づく以上は歴史上の必然というものがあり、それを無視してはゲームが成り立たないから、ゲームの結果を動かすことは相当に難しい。それでもなお、歴史上の必然に挑戦する面白さは残されていたが、何度やってもその結果は変わらなかった。しかし、それではあんまり詰まらないので、終いには勝手にプログラムを書き換えて、何とか勝てるように細工したものだが、そうすると今度はあっという間に飽きてしまう。自分に都合のいいゲームなんて、ゲームそのものの価値がないものだ。それ以降、ボクはパソコンでゲームを楽しむことに興味を失ってしまった。

それから時は経ち20世紀の終わり頃、すなわちバブル崩壊で金融機関が次々と破綻した頃のこと。日本の将来がかなり悲観的になり、自分たちの暮らしだけでも何とかしないと未来はかなりヤバいことになると確信した時、たまたま友人から表計算ソフトを使って家計の将来予測をする方法を知った。今では当たり前の、ファイナンシャルプランナーが家計診断する際に使う、簡単な四則演算に基づく表計算に過ぎないのだが、先の戦争ゲームより現実的なだけに、かなり夢中になって将来予測をたてた記憶がある。しかし、それも戦争ゲームと同じで所詮は机上の空論、前提条件が少しでも違うと、予想はそれほど役にも立たないのは明白だった。つまり、自分たちを取り巻く環境の変化に対して、自分自身が関与できる努力がいかに微々たるものか、ということを嫌ほど思い知ったのだ。

それから20年以上が経った。今年も年末年始にかけて、机上の空論と知りつつもボクは相変わらず家計予測を行っている。今後どれだけの収入が見込まれ、またどれだけの支出があるのか。そしてこれから10年後、手元にどれほどの資産があり、どのようにして生計を立てることができるだろうかを想像するために。あの戦争ゲームのように、前提条件をいろいろ変えて無限の変化を観察し、最善と最悪を想定して、おそらくはその中位くらいが現実だろうと(それすら希望的観測だが)想定し、更に自分ができることは何だろうかと、出てきたグラフを眺めながらあれこれと想像する。一面楽しく、他方恐ろしい未来予測。残り30年、±10年の人生、ボクにはいったいどういう結末が待ち受けているのだろうか。

率直に言って、この20年間の2度のバブル崩壊、世界を揺るがす大事件、大惨事を乗り越えて、想定以上によく頑張ったと思う。それぞれの出来事に直面したとき、もうこれで終わりかと悲観したのは事実だが、それでもどうやって家計を維持するかを真面目に考え続けた結果、これからも何とかやっていく自信のようなものは出来たと思う。最善の想定には意味がなく、最悪の想定こそが人生で考える価値のあることだ。あたかもゲームのように、最悪を常に意識しながら、それでも楽観しつつ愉快に人生を送ること。決して短いとはいえないボクの人生観である。

2 件のコメント:

  1. ご無沙汰しております。久しぶりにお正月に書かれたこのブログを読みました。
    今、とんでもない最悪になっている訳で、いつもの生活リズムが壊され、逆にリズムが妙な方向で一定な状況で。
    自分は今年、定年を迎えるところで(再雇用はありますが)、落ち着かない心境です。

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  2. leftyさん、もうすぐのご卒業おめでとうございます。次はいよいよ第二の人生ですね。大変な船出となりましたが、実り多い人生とならんことをお祈りします。
    ところで、私の想定している最悪は「南海大地震」と「関東直下地震」で、それに比べれば新コロなどは屁のかっばです!

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