半世紀も前の話。
当時、北白川に下宿していて銀閣寺道は通い慣れた道だった。
ある時近所の友人と歩いていて、洒落たマンションを指差し「ここにね、植草甚一が住んでるんだよ」と切り出した。
関心がなかったので「そうなの?」とか言ったのだと思うが、それっきり話題が途切れたのは確かだ。
東京の人気作家がなぜあんな場所でと、疑問が膨らんだのはその後世田谷に暮らすようになってからだ。
氏は経堂駅前の高層マンションに暮らし、晩年はそこを拠点に毎日のように散歩したという。
とすれば、友人が京都で見たのはよく似た風体の別人だったのだろうか?
その後も何度となく銀閣寺のあたりを散策し、例のマンションを目にするたびに、いつも同じ疑問が脳裏をよぎったものだ。
ところが最近、長い間の疑問がようやく解けた。
氏の日記を読んでいると、奥方が京都の人で、その縁で京都にはよく通ったという。
そして奥方の親類が「シャトー銀閣」に住んでいて、何度も泊めてもらっていたようなのだ。
氏の京都滞在中は、例によって精力的に古本屋を回り、喫茶店で暇つぶしをして、両手に大きな買い物袋を提げてマンションに入っていったはずだ。
友人はその光景をたまたま見てたのである。
ぼくはあの時の会話の続きとして彼の勘違いを正したいのだが、もはやしたくてもできないのが残念だ。
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