2007年8月4日土曜日
「イントロデューシング」
封建趣味的なことを言うと、わたしは「分際」という言葉が好きだ。子供は子供らしく、大人は大人らしくすべきであり、大人の世界に子供を引き入れたり、逆に子供の世界に大人が首を突っ込むということが嫌いである。とりわけ子供の趣味に大人が迎合することなど、大人社会に対する裏切りとすら感じる。何でもかんでも柔らかくなって、砂糖甘くなった近頃の料理と同じで、映画やドラマなども単調で歯ごたえのないものが多くなったの感じる。
翻って昭和の最後の10年間は日本のテレビドラマの歴史の中で、もっとも豊かな時代ではなかっただろうか。昭和の文化が爛熟し、大俳優や名女優が最後の光を放った時期である。そして忘れられないのが、向田邦子の「阿修羅のごとく」だ。登場人物のキャラクターが深々と彫り込まれ、様々な色合いを持つエゴがぶつかり合う大人の世界を描く味わい深いドラマだった。そしてわたしにとって、それが向田作品に親しむきっかけに、更に昭和30年代の日本映画にのめり込む契機になったのである。
このミリー・ヴァーノンのCDは、向田邦子の幻の愛聴盤だったことで知られ、向田ファンとしていつか聴いてみたいと思いながら、長年その機会もなくすっかり諦めていたものだ。ところが最近になって、先日のジャッキー&ロイのアルバムとともに再発売となり、それを知ったファンたちが買いに走ってちょっとした話題になったのである。わたしがそれに気づいたときにはすでに在庫も後わずか。慌ててAmazonから貴重な残りを取り寄せたのは言うまでもない。そしてミリー・ヴァーノンを聴き終わり、なぜかやり残した宿題を、やっと終えたような気になったのである。
さて、このミリー・ヴァーノン、歌唱力はまあ及第点という程度だが、向田邦子の愛聴盤というだけに、確かに魅力あるボーカルだ。それは何かというと、大人の愛嬌なのである。決して大作とは言えないが、ミリー・ヴァーノンの普段着をまとったような精神の軽やかさが心地よく感じられるアルバムだ。向田邦子は水ようかんを楽しむ際の音楽と言ったが、蕎麦でも白玉ぜんざいにでもよく合う音楽。押し付けがましくなく、さっぱりとした緑茶のようなボーカルとでも言えようか。
向田邦子が不慮の死を遂げて、はや26年目の夏である。
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Amazonで昨日届きました。JAZZは好きなのですが、なぜかJAZZヴォーカルのアルバムは一枚も持っていませんでした。
返信削除atoさんのblogをみて、つい買ってしまいましたが、うだるような暑い中、心地よく聴いています。
>leftyさん
返信削除はじめまして。
ミリー・ヴァーノン、気に入っていただけて何よりです。
派手さはない代わりに、まるで隣のスツールにちょっと腰掛け、さりげなく話し掛けてくるような温かさが良いですよね。