誤った言説

誤った言説というものにも2種類あるように思う。一つは他の言説との比較を通じて、いわば内容のレベルで誤っていると判定される言説である。もう一つは、言説の入り口で、中身を検討するに値しないものとして、さっさと切り捨てるべき屑のごとき言説である。そして本書のターゲットは後者の方、すなわち中身に触れることなく排除すべき言説の特徴とは何かを、豊富な例文をもとに解説した本である。

環境問題、国際政治、生命科学、経済問題等々、私たち自身が判断すべき事柄は多岐にわたり、しかもそれぞれに専門知識を必要とするものが多い。にもかかわらずその多くの問題について、わたしたちは十分な知識を持ち合わせおらず、それは必然的に他の誰かの言説の比較を通じて、よりましな判断を求めなくてはならないことを意味する。そしてその際、最低限必要なことは、言説の比較の前に屑言説を短時間で選り分けなくてはならないことである。屑さえ取り除けば、致命的に誤った判断をせずに済むのだから、屑を効率的に取り除く技術は、判断基準を持たない者にとってはきわめて重要なことだといえよう。

本書の功績は、何が屑かを機械的、形式的な基準で判断すべきことを提案している点だろう。すなわち当該言説が、
・単純なデータ観察で否定されないか
・定義の誤解・失敗はないか
・無内容または反証不可能な言説
・比喩とたとえ話に支えられた主張
・難解な理論の不安定な結論
という特徴を備えているか否かで、短時間で検討に値するかどうかを判断しようとする。

実はこの方法論、それほど目新しいものではない。それは人生で何度も向き合わなくてはならない試験問題の、とりわけ「正誤」を判断させる設問の解答手順と同じでなのある。たとえば、定義の不明確な大きな概念から一定の結論を導いている文は、内容の当否を考えるまでもなく誤っている。権威づけられた理論の内容を明示することなく、そこから導かれた結論は限りなく怪しい、など。要は、議論の範囲が十分に絞られ、そこで使用される概念が明確にされ、誰が検証しても判断が揺れない確実な論理運びがなされている言説を尊重しましょう、ということなのである。逆に言うと、如何にもありそうなもっともらしい、感覚的にしっくりくる言説には特に注意しましょうということ。

・「ダメな議論−論理思考で見抜く−

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