飯椀


人は両手に持つ以上のものは持てない。特定の思想や宗教に思い入れはないが、いつからかなんとなく身につけた信条である。両手にいっぱいモノを持てば自由がきかない。だから出来るだけ手ぶらの状態が望ましいが、現実にはそうも言ってられず、そこでいろいろと妥協する。

わたしにとって、白いメラミン食器は、そういう信条の象徴のような存在である。モノとしての必要最小限の潔さや徹底した実用性など、メラミン食器のモノへの執着を拒絶するような雰囲気に強く惹かれた。そして新生活を始めるにあたり最初に揃えていったのが、メラミンの皿やドンブリだった。食卓は学生寮の食堂のような有様だったが、家庭的な匂いが希薄な分だけ居心地は悪くなかった。

さすがに今ではメラミンの器で食事するという根性はなくしてしまったが、信条の方はまだ強く残っている。ただ他方では年相応に贅沢したいという欲求も強く、それがいつも葛藤の原因となる。質素でありたいし贅沢も楽しみたい、その妥協の産物ような食器がこの陶器の茶碗。麦や雑穀まじりの飯でも、これにふっくらと盛ると、不思議と贅沢な気分になる。韓国の有名な陶芸家の作だが、メラミン食器の気分で使っているうちに、迂闊にも作家の名前を忘れてしまっていた。

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