2007年11月23日金曜日

「ジャスパー・モリソンのデザイン」

日曜大工の参考に読んだジャスパー・モリソンの作品集。わたしはこの人の作る、簡潔で清潔感のあるデザインが好みである。そして、いかにもイギリス人らしい質実剛健さと同時に、随所に現れるユーモアの感覚に、きわめてパランスのとれた、成熟した大人のデザインを観る。

わたしにとっては相性のいい作品ばかりだが、敢えてベストワンを選ぶとすれば「ラ・トゥーレット修道院の椅子」だろうか。修道士の座る質素な木製の小椅子だが、柔らかな革のようにカーブした座面の優しさ、がっしりとした脚部の造り、要所要所に付けられた丸みなど、全体としてきわめて優美な椅子に仕上がっている。市販していないのが非常に残念だ。

そして、ちょっと面白いのが、mujiのケトル。ブラウンベティーを連想する家庭的なデザインだが、これがジャスパー・モリソンの作品だとは全然知らなかった。このあたりに、彼の子どもの頃から見慣れたかたちが、ケトルのデザインにも反映しているようだ。ただ、わたしとしてはこのカタチは洗いにくいので、直ちに却下。

最後に、とても共感できる文章があったので、その幾つかを引用してみたい。

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・あまり目立たないものの方が、その魅力、謙虚さ、能率という美点によって、毎日使うものとしての息が長いということもわかってきた。長い目で見ると、実用的な特性が同じランクの他製品と比べてすぐれているということだろう。

・市場は独自性と類似性を同時に求めるため、おそらく実用性と新の意味での解決が排除されてしまうのだ。市場が無用な変化を求めるために、不足のない製品が、実用的ではないのに売りやすそうな新製品にとって代わられるのは悲しい事実である。

・また時間をかけて自然に、無意識のうちに成長したものが、簡単に他にとって代わられるべきではない。たとえば昔からゆっくり発展し、さまざまな商品やサービスを提供する店が並ぶ商店街の「普通」はとてもデリケートな有機的生命体なのである。

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日本製の家電の残念なデザインを変えさせたいなら、消費者である私たち自身が、この言葉を胸に刻んでおかなくてはならないと、強く思う。

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