2008年1月1日火曜日

「文明が衰亡するとき」


年末年始はいつものように、一人で過ごす。誰にも邪魔されず本を読み、音楽を聴き、映画を観て、気が向いたらコンビニ弁当をほおばる、酒を飲む。愉しい哉、我が人生。

今読んでいるのは高坂正堯の名著、「文明が衰亡するとき」。始めて読んだのはプラザ合意の前、アメリカ経済が疲弊し、ジャパンバッシングが頻繁に報道されるようになった頃。気紛れで手に取ったこの本を読んで、はじめて、歴史を知ることの重要性や、イデオロギーに左右されない現実主義的なものの見方を知った。さらに、歴史を作る人間がいかに変わらない存在であり、その本性を把握しない限り、社会の動きを理解できないということを学んだ。自分が世論に流されないためにも、何年かに一度は必ず開く、愛読書と言ってもいい本である。

今回読み返していて、強く印象に残ったことは、この国の行く末についての記述である。曰く、「世界に嫌われても日本は衰頽するし、力がなくなって嫌われなくなってもやはりそうなる」。そして「絶え間なく変動する国際情勢に巧みに対応することは人々を疲れさせる。しかも、その対応とは、所詮妥協だから、それを繰り返しているうちに、自分たちの生き方への確信が失われる危険がある。そこに、通商国家として成功して豊かになったときに不可避におこる頽廃が加わる」、「その結果おこるのは、あるいは社会の中の分裂的傾向であり、あるいはより平穏な生き方への復帰を求める傾向だろう」。そして、変化の対応力の弱まりは日本の衰頽を招くが、「われわれの努力次第で運命が避けられると言いたいのでなく・・・、(その時がいつ来るかということであり)それまでにわれわれが何を作るかということなのである」という、きわめて冷厳な分析を行っている。

「その時がいつ来るのか」、以前ならば想像すらしなかった問いかけだったのに、もはや現実の問題となっているではないか。そして、この問いかけの後、四半世紀をかけてハコモノしか作らなかったこの国の現状を、高坂先生は何と評価するのかを知りたいのである。ひょっとすると、「そら、もうあかんね」と、あの世で苦笑しているのではないだろうか。

めでたい日に、辛口のアケオメで申し訳ない。

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