
家計簿は結婚当初から続いていて、互いに苦労知らずの世間知らずだったので、気がつくと財布の中が空っぽ、という事態を防ぐためにはじめた。節約するというつもりはなく、お金の出入りを正確に記録して、せめて無意識の消費を止めようとしたのである。当時の記録を読み返すと、急ぎでもないのにタクシーは乗る、外食は頻繁、用もないのに喫茶店と、そりゃもう冷や汗ものの無軌道ぶりだ。さすがに年の功というか、最初の目的からすると、家計簿をつける必要はなくなっているのだが、今ではすでに習慣のようなものだ。他方日誌はというと、これは家計簿よりも後からで、当初はジョギングの距離数などをつけていたのが、それがいつのまにか、食事の記録になってしまった。記録の前半は揚げ物や中華が多かったが、後半に入って沖縄料理が幅を利かし、それから次第に野菜中心の軽い食事に変化している。食生活や嗜好というものも、変わらないようで、短期間でも結構変化するものである。
こんな風に、家計簿も日誌も、たまに読み返しては、暮らしの変化を知るだけであり、特段何かを反省するといったことはない。ただ、それでも記録し続けているのは、誰も自分の暮らしぶりを批判する者がいないので、自分自身に第三者の目が必要であり、もしもこれを止めると生活のたがが外れるような気がしているからなのである。いつまで続くか分からないが、いずれは訪れるであろう最後の記録がどういうものなのか、想像するのも悪くないと思う。
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