酔った勢いで

小学生の時の担任の教師が、よくホームルームの時間などで戦争中の話をしてくれた。まだ防空壕が残っていて、入り口を有刺鉄線で塞いで、「立ち入り禁止」の立て札があった時代である。「火垂るの墓」の舞台となった故郷で、山の中腹に設置された高射砲を任された若き日の先生は、アメリカの爆撃機を撃ち落とせなくて、成す術もなく市街地が燃え上がるのを断腸の思いで見ていたのだそうだ。そしてわたしの出身校の、あの時代の先輩たちが、戦渦に巻き込まれて半数近くが亡くなっているのを知るにつけ、それがどれほど悲惨な戦争だったかを想像する。

もちろん戦争の当事者でないわたしたちに、あの戦争の善悪を発言する権利はない。ただ、あの戦争を体験した世代の子孫として、戦争体験を直に伝え聞いた世代として、果たさなくてはいけない道義的な責任を想起するのだ。それは、いかなる理由があろうとも、武器を持たない無抵抗な人々に対して、武力を持って制圧することは絶対に許されないということを、明確に発言しなくてはならないということだ。そうでなくては、何ら抵抗するすべもなく亡くなった、何万という尊い犠牲者たちが浮かばれないからだ。

さて、チベットである。わたしは腑が煮えたぎる思いで、連日のニュースに接している。わたしに少しでも勇気があれば、大使館に抗議の電話をしているところだが、残念ながら腰抜けの小市民なのである。それ以上に腹立たしいのは、人権尊重を憲法上の国是とする我が政府のふがいなさである。政治上の混乱を口実として、騒ぎが治まるまで死んだ振りを決め込んだ、現政権の卑怯にほとほと愛想が尽きてしまった。

わたしたちにできることは何なのか。ひとつには、あらゆる場面における小市民としてのボイコットである。あの国で作られた製品は、たとえ日本企業のものでも買わない。似非平和の祭典、北京オリンピックなどは、絶対に見ない。あの国への観光旅行などは論外である。声高に主張する必要はない。黙って、日々の生活の中で、小さなボイコットをすればいいだけだ。たったそれだけのことでも、それを何千万人と行動すれば、必ずや政治的圧力となって効果を発揮すると思う。そしてもうひとつ。日頃から、人権だ環境だ、平和が一番だと主張する人たちが、この問題についてどのような発言をしているか、インターネットで慎重に観察してほしいと思う。「チベットの人たちに自由を!」それを願う世界中の人たちと、今は黙って連帯したい。

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