「ヨーロッパ退屈日記」

日曜の朝のテレビ番組で進行役を務めていた俳優が、とても強く印象に残っている。番組の前半ではざっくりとしたジーンズ姿かと思えば、その後半では、打って変わって堂々とした和服姿で登場した。その動と静の切り替のセンスが見事だった。外国の映画にも何本か出演していたが、どこか貴族的な風貌に、颯爽とした立ち居振る舞いが、滅法格好が良かった。その後、映画監督を本業とするに至ったが、沈滞した日本映画界を生き返らせるような働きをした。そして、老いた姿をファンに見せることなく、この世を去っていった。

このエッセイ集は、伊丹十三の作家としての出発点となった作品である。タイトルは「ヨーロッパ退屈日記」となっているが、それは旅行記というよりも、海外生活での身辺雑記といった内容だ。しかし、かえって伊丹十三の息づかいがよく感じられ、その文章を追っていると、やや甲高く特徴的な彼の声が、昨日のことのように思い出される。そして、自信たっぷりで遠慮のない文章の背後にある、プリンシプルを重視し、多勢に流されまいとする著者の美意識が、読者を爽快にさせると同時に、どこか不安定な危うさをも感じさせる。ただ、この本は、日本人が経済大国に向かって、息せき切って馬車馬のように働いていた時代のものだ。そういう時代の奔流のただ中に立ち、スタイルのある生き方や、上質な生活の大切さを説くには、やはり世間に向かって啖呵を切るような激しさが必要だったのだろうとも思う。

気になることがひとつ。アメリカ(語)を軽蔑し、中産階級を疎む伊丹の感性や趣向は、どうしてもある人のことを連想してしまうのである。はたしてエッセイの中に「休暇でヨーロッパに来ている友人の白洲夫妻に、ジャギュアをスペインまで持ってきてもらう。」との、さりげない一文。あの時代にそういうことが出来る白洲さんと言ったら、あの人の他に思いつかないのだがどうなんだろう。

「ヨーロッパ退屈日記」伊丹十三

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