2008年8月4日月曜日

お洒落をするということ

日本人の平均寿命がまた伸びてしまったようで、長生きの家系に生まれたわたしにとっては複雑な心境である。先だっても友人と話をしていて、互いの両親の様子に話題が及び、ともに後期高齢者というレッテルを吹き飛ばしそうな健在ぶりに、自分たちの将来を想像して笑いあったばかりである。これを口にするにはまだ早すぎるのだが、願わくば最後まで誰に頼ることもなく、充実した人生を過ごしたいものだ。

これまで年配者との付き合いで気付いたのは、お洒落に気を遣っている人たちほど、総じて人生を楽しんでいる傾向がみられるということ。みんな年齢とは無関係に、話題が豊富で、ユーモアを嗜み、好奇心が旺盛である。だからお洒落に「も」関心があるというのではなく、むしろお洒落をすることで、意欲的に生きられるという関係が相応しい。衣服は人間の第二の皮膚といわれるが、それはけっして虚構なんかではなく、衣服は人の中身をあり方を決める重要な機能を果たしているのではないかと思えるほどだ。そして、お洒落するということは、若い世代よりも、むしろ目標を見失いがちになる高齢者にこそ、価値のあることだと思う。

と、何やら分かったようなことを書いたが、わたし自身もこの点に関しては平均的なオジサンであり、たまに敷居の高いショップにいくと、どうにも気恥ずかしくてギクシャクする始末。まあ平常心で買い物ができるのはアウトドア系かムジくらいかもしれない。だから、お洒落するといっても、レストランや劇場など人が楽しむ場所に行くときに、せいぜい小物で楽しんでいるという雰囲気が感じられる工夫をするだけである。もっとも男の場合、しょせん女性の引き立てに過ぎないから、その程度で充分ともいえるだろうが。

ただ、それだけではお洒落をしている内には入らないので、せめて自分自身が楽しいと思える程度のセンスや技能を身につけたいと感じている。そこで、外国のお洒落さんばかりを撮影したブログを見て、毎度彼我の差を実感している訳である。そこに写った生き生きと鮮やかな人たちの姿を見ていて、お洒落をするということは、大袈裟な言い方だけど、獲得した自由の表現であり、人生の積極的肯定のサインなんだ、と了解した。今からでは格好いいオジサンには成れないだろうが、せめて見てくれの楽しそうなオジサンになることが目標である。自分が楽しくなければ、長い年月が牢獄になってしまうかもしれないからである。

http://thesartorialist.blogspot.com/
それにしても、みなさん、鮮やかだね。

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