2008年8月15日金曜日

終戦の日

春先の旅行の際、いくつか訪ねた街の様子が、どこか妙に安っぽい気がした。どうしてなんだろうかと調べてみると、いずれの街も先の大戦で街が壊滅したらしい。どちら側からの爆撃かは知らないが、それで古い建造物がすべて崩壊した後、戦後復興の際に住宅需要を満たすためコンクリート造りの急ごしらえの建物がたくさん作られたというわけだ。

町並みというのは、そこに住む人たち歴史そのものであり、街自体の貴重な記憶でもある。それが一瞬にして失われてしまう、近代戦争のなんと残酷なこと。人の生きる証と街の記憶とは、切っても切り離せないほど密接な関係なのに。同じような経験は中欧の美しい古都でも経験した。建物の大通りに面した部分はそれなりに立派なのに、裏に回ると一転して醜い灰色のコンクリートで建物は覆われていた。住人に理由を訊くと、やはり戦争で外壁を残してほとんど消失してしまったからだという。投下された爆弾が屋根を突き破って、建物の裏半分を吹き飛ばしてしまったらしい。そのあたりの事情は、映画「第三の男」の描写にも現れていたように思う。

さてわが祖国、以前たまたま覗いたウェブサイトで、わたしの住む地域から見た大空襲の様子を読んだ。小高い丘に建つその家の二階からは、下町から竜巻のような真っ赤な炎の柱が幾本も空に向かって伸びていたのが見えたそうである。そして、何かが燃える音と人の悲鳴が混じった不思議な音が、何キロも遠くまで伝わって聞こえたということだ。

今その近辺を歩くとき、なにかその当時の痕跡が残っていないかと注意するが、一度もそれらしいものを発見することがなかった。ただ、ほんの何十年か前に、竜巻状の炎の下にいた人たちのことを思うと、表現しようのない悲しみが感じられるだけだ。何もかもがさっぱりと燃えてしまって、そこに生きた人たちの記憶が何も残っていないことに、よりいっそう戦争の無残を思うばかりである。

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