2008年10月7日火曜日

燃え盛る秋に

「燃える秋」とかいうタイトルの邦画があったが、金融市場の火の手は一向に収まる気配がなく、世界中が燃え盛る秋になってしまった。人間のむき出しの欲望の前には、過去の体験や教訓のいかに無力なことか。だけど店頭からバナナが消えたことが目下一番の話題になるガラパゴス島に暮らしていると、このまま世界が丸焦げになっても気がつかずに済んでしまうような錯覚に陥ってしまう。何も気がつかずにやり過ごすことができれば幸せなんだろうが、気がついた時にはベッドの周りまで火が迫っているのが普通なので、いざという時の覚悟だけはしておきたいと思っている。

「覚悟」という言葉を使ったが、実はそれほど大袈裟なことではなく、何があってもいつもと変わりなく淡々と、穏やかに暮らしていこうという心構えにすぎない。金融恐慌は戦争や天災なんかではないのだから命を奪われるということはなく、最悪、空きっ腹を抱える程度の禍で、それだったらどんな時代でも当たり前に起きているので慌てる必要はどこにもない。現にわたしは、朝食に出るはずのバナナを長らく見ておらず(もちろん原因は別だが)、毎朝トーストとコーヒーだけの寂しい食事になっているが、それも次第に気にならなくなってきたところだ。金回りが悪くなっても、質素もいいねといえるくらいの心の余裕があれば、厳しい風景だって違って見えるだろう。

それにしても、改革が遅いと散々罵られ続けて、ジャパンパッシングという屈辱的な言い方までされて、気がつけば日本以外全部沈没の状況となり、また時代の流れにポツリと取り残されたわが祖国。たとえば生物の世界では、種の多様性を失うと、その種は絶滅しやすくなるらしい。人間社会も同じかもしれない。多様な経済社会があればこそ、世界経済の壊滅は防げるのではないか。前回の世界恐慌時にも、共産主義のソ連はほとんど影響を受けなかったと聞く。だけど資本主義化した新生ロシアは、今回は簡単にバブルに飲み込まれてしまった。ガラパゴス日本が、その不思議な進化ゆえ、世界経済の最後の防波堤の役割を負うことになったとすれば、それは歴史の壮大な皮肉でもある。

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