2008年11月1日土曜日

疑問

10月はお金のことを考えた。100年に一度あるかないかの金融恐慌を目の当たりにして、いったいどこの世界の出来事だろうかと、不思議でしようがなかった。お金はどこから生まれて、どこに消えていくのだろう。それは小学生の時からの疑問だった。あの当時は、金銀財宝を山から掘り出して、それを何かと交換するとお金が生まれると考えた。財宝を持ち歩くと大変だから、持ち歩きできる紙幣にしたわけ。すこし知恵がついたころには、力の弱い労働者の上前を掠め取った果実がお金だと理解した。なんだか脚色の強いお話である。大人になると、お金って要するに「お約束」じゃねえの、と知ったかぶりをするようになった。人類が消費を円滑に行うための工夫というわけ。お約束であるから、お金は信頼し合える社会でないと通用しない。銀行同士が不信感に陥ると、そこでお金は流れなくなる。お金を流すことで糊口をしのぐ銀行で、お金が流れなくなるとゲームセット。国民同士で信頼しあえなくなると、お金の価値はどんどん薄まり、最後には物々交換。10数年前のロシアが記憶に新しい。

お金は「お約束」だと言った。でもそれは自分が生きる上で必要となる程度ならば説明できるが、それ以上だとわからなくなる。膨大なお金を有している人は、いったい何を約束してほしいのだろうか。誰に約束してほしいのだろうか。例えばクルマを運転して、目の前に巨大なトラックが走っていると不安でしょうがない。せめて後続ドライバーから見える場所に、行き先や急ぎ具合や、ドライバーの顔や性格など掲げてくれたら、ずっと安心感が得られるだろう。お金の世界でも同じ。多数の安心感を奪うような、大きなサイズのお金の持ち主は、そのお金についてみんなに説明する必要があるし、さもなくばどこか別の原理の世界で暮らしてもらうべきだ。もしくは、われわれの方から、お金のノーマルな用途に特化した場所に引っ越してしまうことだってありだ。すなわち「地域通貨」の採用などが議論されてもいい。

ほんの少しだけ見えてきた事。そもそも欧米の金融機関が、普通の人間なら決してしないような、リスクの大きい人や国に巨額のお金を融通したのは、そうでもしないとお金が滞ってしまいそうになっているからだ。日本では、高齢化が進んで新しいお金が不要になってしまい、各家庭や銀行にそのままになっている。だから、お百姓の大銀行は運用に困って、とんでもないリスク資産を抱え込んでしまったのだ。あたかも海や湖が富栄養化によって生き物が窒息しそうになっているのと同じような現象が、経済社会に起きていると思っていい。だとすれば、今起きている危機は、それが収まっても、何度も繰り返されると考えて間違いなさそうだ。


で、どうすればいい?

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