2008年12月28日日曜日
カレンダー
毎年のように、我が家には何冊かのカレンダーが届く。だが、カレンダーを壁に掛ける習慣はない。どうしたって目障りだし、必要な場所にはごく小さな日付だけの目立たないデスクカレンダーを置いているからだ。中には美しい写真を載せたものや、デザイン的に凝ったのもあり、それらは単純に眺める分には楽しいが、しかし壁に掛って毎日見るとなると話は別なのだ。
ホンダのカレンダーもそうしたなかの一つであり、例年暮れにひと通り眺めて押し入れに仕舞いこむ。先日も届いたばかりのを見ていたが、おそらく今年で最後になるかと思うと無性に寂しくなってしまった。それはレースのシーンばかりを集めたカレンダーなのである。今年後半の急激な経済変動で、ホンダはF1から撤退し、再び戻ることはないという報道があったのはその数週間前のことだ。
以前にもすこし書いたが、子どものころからクルマはホンダ以外は全く関心がなかった。なにしろ子どもなので、ただ純粋に色や形が気になってしようがなかったのだ。それはちょっと風変わりな形とか、妙に気を引くコマーシャルとか、ホンダのクルマは楽しそうだなと思わせる訴求力があった。長じて、本田宗一郎や藤沢武夫を知り、そのとてつもない人間的魅力に傾倒した。またレースに挑戦して発展し続けるホンダという存在が、大げさにいえば同じ日本人としての誇りだった。
これは勝手な思い込みだが、あの会社のピークは20年前だったように感じる。経営的にどうのというのではなく、会社や商品の魅力という意味で。藤沢や本田が、相次いでこの世を去った昭和から平成の変わり目のころだ。もちろんその後もホンダは発展を続けたが、わたしにとってはもはや特別な自動車会社ではなくなっている。そしてホンダのDNAとまでいわれたレースからの全面撤退をもって、ホンダのこれまでの長い物語はいったん終わりを告げたと思うのである。だれの責任でもない、それが寿命というものだろう。
政府や民間のリーダーたちの表情が暗い。人間的魅力に欠けるうえに年老いてもいる。社会というものは、究極的には次の世代のゆりかごでなくてはならないのに、そこに老人たちが潜り込んでしまっている。もし本田宗一郎や藤沢武夫が生きていたら、彼らはこの現状に対して何と言うだろうか。
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