2009年1月16日金曜日

松山

松山に立ち寄ったので、以前から機会があればと考えていた伊丹十三記念館を覗いてみた。町の中心部から少し外れた場所にある、国道沿いのシックな建造物がそれである。残念なことに期待していたほどには、展示品は多くなかった。あれほど多くの仕事をした人の資料館としては、ちょっと素っ気ないくらいだ。しかし展示されている手書きの原稿やノートを読んでいると、思いのほか時間を忘れて没頭できる。原稿用紙の小さな升目に埋められた、決して上手とはいえない個性的な文字を追っていると、在りし日の伊丹の息遣いが直接に伝わってくる。それが何よりの収穫だった。

比較するのはおこがましいが、性格や好みに自分と少し共通するところがあり、いくらかの親しみを持ってその作品に接してきた。わたしの本棚にあるのと似たような本が並び、同じような道具を使い、しかし決して忘れ去られることのない素晴らしい文章や映像を数多く創作した。才能とは、何かを作り出す能力のことではなく、創造の神様に愛される能力を指すのではないか。それだけに、今更ながら失われたものの大きさを実感するのである。


今回、記念館の展示物を期待していたのと同じくらい、その建物自体を見ることも楽しみだった。建物の規模は、大きめの倉庫といった程度か。外観は、低く構えたような姿だが、内部は回廊状になっていて、空に向かって開け放たれた中庭が美しい。これは、いわば和風の修道院である。敷居が高いようで開放感があり、明るく軽やかなようでいてむしろ深い。さまざまな要素が反映し穏やかな中庸を保っている、許されることなら住んでみたいと思わせる魅力的な建物だった。その場所が緑の深い里山であったり、白壁の美しい歴史的町並みに建っていれば、どれほど素晴らしかったであろうか。その点だけが実に惜しい。

美術館や博物館に行って、図録などを購入することはないのだけど、今回は特別にガイドブックを買ってみた。どうして普段はそうしないかというと、サイズが大きいうえにまちまちで書棚のおさまりが悪いからである。これは文庫本のサイズなので、場所は取らないし、トイレに置いて読むこともできる。チケットや案内パンフレットともデザインが統一されていて、どれもシンプルだが上質、そして洒落っ気もあり、やはりこれは伊丹テイストである。

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