2009年2月16日月曜日

「日本の「安心」はなぜ、消えたのか」

日本の「安心」はなぜ、消えたのか」  山岸敏男

安心社会の原理とは、固定メンバーの相互監視によって集団規律を維持し、安全コストを最小限に抑えようとする社会原理。相互監視という機能に依存するので、リスクをとって他人を信頼する必要がない。ただし、他者を排除する必要があるので、広く利益を得る機会は得られない。農村社会がその典型。変化の少ない、静かで落ち着いた暮らしを営める。個人利益でなく、集団利益を優先する社会でもある。

信頼社会の原理とは、安全コストを個人個人が負担して、他者と積極的に関係を結び利益を得る機会を広げようとする社会原理。他人同士が共存共栄する社会。仮に相互に騙し合いをすると取引が縮小し、各人の得る利益は少なくなるので、互いに信頼し協力し合うということが社会維持のための前提となる。ヴェネチアやオランダなどの商人中心の社会に特徴的。損得勘定によって、社会システムを柔軟に構築できる利点がある。

上記二つのモデルのうち、どちらが優れているかは、その社会の地理的条件、歴史的条件によって判断されるべきだ。江戸時代のように鎖国政策をとるならば安心社会の原理が妥当するだろう。しかし世界で最も高齢化した社会の福祉や経済を維持し、同時に後の世代を育てるためには、社会を今より豊かにしなくてはならない。このフラット化し急変貌する世界で生き残るためには、変化を恐れずに他者を積極的に受け入れて、取引チャンネルを拡大する必要がある。そのためには安心社会から信頼社会に速やかに移行しなくてはならない。

ただし信頼社会と安心社会は、水と油の関係。混ぜ合わせると社会が腐敗する。それがまさに今の日本の現状である。国民は政治に冷笑的であるにもかかわらず、行政サービスの拡大を求める。政治的エリートたちは、権益の追求にしか関心がないように見える。それぞれの社会集団が既得権を手離さず、変化を拒絶することで、国全体の活力が急速に失われている。そして悪いことに、そのもっとも変革の必要なときに、変化を嫌う高齢者層が増大して、この国は後数十年は身動きが取れなくなる。つまりゲームセット。

進化の過程で生き残る種は、強い種ではなく、環境変化に柔軟に対応する種である。個人のレベルでいえば、自らの意思で、生活環境や生活スタイルを選択できる人が生き残れる確率が高いと言えるのではないか。本書は、これからの社会の変貌を占い、個人がそれにどのように対処するかという疑問について、わたしたちに様々な示唆を与える。

そしてもう一冊。

この国を作り変えよう 日本を再生させる10の提言」 (講談社BIZ)

先の書は社会心理学からのものだが、この書は企業経営者からみた我が国の問題点を明快に抉っている。変革を急がなくては末代まで禍根を残すという点で、同様の結論である。

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