2009年3月9日月曜日

「非電化」という選択

身の回りの電化製品、便利なのは確かだけど、それに囲まれて暮らすのはさほど楽しいことではない。どれほど工夫を凝らしても、所詮は大量消費を目的とした工業製品。数年で陳腐になることを運命づけられた、一時しのぎのものたちだ。そういうものに囲まれていては、自分の暮らしまで味気ないものになるのではという漠たる不安を感じる。

はじめて一人暮らしを始めたとき、四畳半一間の下宿に持ち込んだのは、こたつと学習スタンド、電気コンロとラジカセくらいで、それで特に不自由することなく過ごしていた。テレビなんかは銭湯や食堂で見てたし、暑くてたまらないときは図書館や喫茶店で過ごしたし、寒いときは酒飲んで紛らわしてた。電気コンセントはひとつで十分だった。

それが今では家の中を電波が飛び交い、モーターは唸りをあげ、部屋のあちらこちらで小さなイルミネーションが光を放っている。電化製品の一つ一つは、それなりに理由があって、きちんと吟味して入手したが、気が付くと思ってもみなかった量の電化製品に埋もれて暮らしていた。やはりそれはいかんだろう、と心のどこかで警告シグナルが鳴る。些末な便利さと引き換えに、辛抱強さや工夫する力を失い、ちょっと大袈裟かもしれないが、自立して生きる力が弱まるのではないか。

そのような疑問から「愉しい非電化」を読んだ。エコだスローだのというお軽いサブタイトルから受ける印象より、ずっと生産的で実質的な提言がなされている。別に電化製品でなくてもそんなに困らないし、むしろ電気への依存を少なくして別の楽しみや新しい豊かさを探そうというスタンスがいい。そして本書の提言する「非電化」は、究極的には電化生活で衰えた知恵や工夫を、非電化することで取り返す試みと読んだ。あまり声高にいうのは、電化事業に携わる人々に不安を与えるので、遊び感覚でライフスタイルを変えるのが程よいだろう。

「愉しい非電化」

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