2009年3月28日土曜日

「お家さん」

都市にも、人生と同じく四季があるのではと思う。久しぶりに神戸を訪ねた伯父が、地下鉄の乗客が老人ばかりなので、街中で何か老人の大会が開かれてると勘違いしたそうだ。さもありなん、なにしろ老人パスで交通機関が自由に使えるうえ、さまざまな優待サービスが受けられるのだから、老人たちは家に閉じこもって退屈している暇などないのである。その最大の受益者であるわが老親からして、どこに行っても年寄りばかりだわ、とぼやいているくらいだ。そして一方では、住宅街からは子供の姿が消え、賑やかだった町は落ち着いた佇まいを見せている。神戸の街は、静かで穏やかな晩秋を迎えているのだ。

神戸が真夏のような青年期を迎えていた時、そこは首都に次いで日本第2の大都会だった。そして、ここを拠点とする日本最大の総合商社、鈴木商店の隆盛と衰亡はまさに青年期の神戸と表裏一体だったといってもいいだろう。「お家さん」は、その鈴木商店の当主である鈴木よねの生涯に光を当て、いかにして一砂糖問屋が瞬く間に巨大財閥に変貌したのか、そしてそれはなぜ可能だったのかを描いた小説である。もちろん商店の発展は大番頭の金子直吉をおいてはあり得なかったが、しかし「お家さん」と呼ばれるよねを歴史の主人公にすることで、日本的経営とか家族主義的経営と呼ばれるものの実質を描くことに成功している。

商売の天才、金子直吉のことを考えると「心意気」という言葉が浮かんでくる。貧しい商家の子倅を引き立て、事業の失敗を責めることなく、むしろその才能を信じて自由に仕事をさせた女主人に対して、金子はどれほどの忠誠を誓ったことだろうか。すべては「お家さん」の名誉のために、そして日本の発展のために、無私となり全身全霊で商売に打ち込んだ男の人生に深い感動を覚える。そして、鈴木商店が頂点を極めるにまさに分水嶺となった一通の電報、"BUY STEEL, ANY STEEL, ANY QUANTITY, AT ANY PRICE"。一世一代の勝負をかけた男の、シンプルで力強い表現は、100年後の現在でも圧倒的な迫力を感じさせるのである。

神戸空港の離着陸時に、機内から見る市街地風景が格別に美しい。特に夜景の素晴らしさは、ちょっと他とは比較にならないくらいだ。それに引き替え鈴木商店の時代の神戸は煙突が林立して盛んに煙を吐き、世界中と活発に交易をし、あらゆる国の人たちが盛んに行きかう、猥雑だが活気に満ちた姿をしていた。アメリカの経済誌にまで世界で最も美しい都市のひとつとして紹介されるくらい、清潔で落ち着いた都市となったいま、次に迎える季節は長い冬なのか、それとも力強い再生の春なのか。「お家さん」の長い物語を読み終え、わたしは故郷の不安な行く末に思いをめぐらせた。

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