2009年4月22日水曜日

客の礼儀



地元の友人たちと食事会を催すとき、いつも困るのがレストラン探しである。おいしくて、安くて、席数が確保できて、そして自転車で帰れるくらいの近場でということになると、それに当てはまる店を見つけるのは至難の業だ。悪いことに料理には詳しいと誤解されているので、期待を裏切らないようにしようとして、なおさら辛くなる。

しかし全然ないかというと、そうでもなく、たとえば本格的な東南アジア料理を安心して楽しめるレストランとかはある。しかし、そういうのになると頭から拒絶反応を示す人もいたりして、せっかくのチャンスなのに勿体ないことだと思う。そうなってくると無難にマスコミなどで頻繁に取り上げられる中華とか西洋料理の店とかになるが、内容的にとうてい納得できない店が多くて、早々に行き詰まってしまうのが常なのである。

古い話になるが、近所で評判の高かったレストランがあって、人に勧められて初めて食事したときは大満足だった。そしてしばらくしてから再び訪ねると、看板は同じなのに全然別物になっていて驚いた。そんな体験をあるところで漏らしたら、その場にいた数人が、ああ、例の料理ショーに出演して有名になった店だねと簡単に言い当てた。それからずいぶんと時間がたち、インターネットでは相変わらずの人気店であることは窺い知れるのだが、果たしてあれから経営方針を変えたのだろうか。

美味しくもないのに、美味しいというのが変だと言っているわけではない。味覚なんていい加減なもので、空腹こそが最高の調味料だというではないか。そうではなくて、あたかもレジャー施設にでも行ったような感覚で、あれこれと無邪気に論うことで店の評価が左右されることに、強い違和感を覚えるのだ。ましてや食べ物に対してA級だのB級だの、軽いお遊びなのはわかっているけど、ちょっと感情的に受け入れられない言い回しが当たり前になっている。真剣に料理に取り組む人たちに対して、暖かく真面目に応援するのが、客としての最低限の礼儀だと思し、そうでないと客から巻き上げることしか考えないふざけたレストランばかりになってしまうのではないかと心配なのだ。

今日から連載の始まったこの記事を読んで、いろいろと思い当たることがあり、感想めいたことを書いてみた。
写真は、鶏を丸ごと漢方薬で煮て、素麺風の麺を浸けて食べるという料理。日本では決して味わえない、不思議な一品だった。

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