2009年5月7日木曜日
連休の最終日
連休の最終日は、普段行く機会のない青山とか原宿を散歩する予定にしていたが、そんな日に限って雨降りである。このところ家事仕事と読書ばかりだったので、家にいるのも飽きてしまっていた。それで何もしないよりましだろうと、園芸用の土や材木を買いに郊外のホームセンターに出かけてみれば、同じように考えた人たちの車列が店外まで延びている。そういうこともあろかと思い、何枚か選んできたブロッサム・ディアリーのCDを聴きながら、ぼんやりと雨の景色を眺めて過ごした。
昼過ぎにホームセンターから帰宅すると、珍しく姪が遊びに来ていた。新生活にまつわる諸々のことや、学校のことなど、積もり積もった話をしゃべり始めると、もう止まらなくなる。おなかを空かせた彼女のために、いつもの倍の分量の焼うどんを作り、それを食べながら、こちらは「ふんふん、ホォー」と聞き役に徹する。食後はデザートとお茶を飲み、彼女の撮影してきた写真を眺め、その説明に笑い転げて、はや夕方となった。
お昼を山盛り食べていたのに、再びおなかを空かせた姪のリクエストに応えて、夕食はエビのチリソースと麻婆豆腐を作ることにした。私と妻、姪の三人がキッチンに一列に並んで、野菜を刻み、ソースを作り、鍋を振る。互いに味見をしては議論をし、指示を飛ばしあいながらの賑やかな料理。その楽しいことといったら、ここ最近ではちょっと思いつかないほど。夜遅くになって、彼女をアパートまで送り届け、その帰りの車中では言葉少なくなり、互いに小さなため息を吐いていた。どこにも出かけることはなかったが、それはそれでいい連休だったと思うのだ。
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