2009年5月9日土曜日
コーヒー考
朝のコーヒーだけは、必ず自分で淹れる。10代の終わりからずっと、1年で300回以上、今日まで延々と続いている習慣だ。以前は定期的にお気に入りの豆を送ってもらい、挽きたての贅沢なコーヒーを淹れていた。しかし途中から忙しくなったり、また合理的にもなったりして、スーパーのPB商品のレギュラー・コーヒーを工夫して淹れている。本当にうまいコーヒーが飲みたければ下手に試行錯誤せずに、黙ってプロに任せるのが間違いないと思うからだ。
だから私の場合、せいぜいコーヒーメーカーで抽出するよりましなコーヒーを、いつも安定した状態で、コストや手間をかけることなく淹れることを目標にしている。気をつけていることは、きっかり4杯分の湯とその温度管理だけ。沸騰した湯を、必ず一旦ガラスポットに入れ、それを再び薬缶に戻して適温にする。金属フィルターに粗挽きの粉を多めにセットして、蒸らしも「おまじない」もなしで、湯をあっさりと注ぐだけ。新鮮で上等の粉であるならまだしも、安価なPB商品なので、手早く淹れるほうがずっとおいしいのだ。そして最後に、抽出されたコーヒーの濃度が均一になるよう、プラスチックのナイフでかき混ぜる。もちろんカップは暖めておく。
ポイントは、いつも同じ手順を守り、コーヒー粉の状態や室温などを勘案して、粉の分量、湯の温度を微調整し、味のブレをなくすこと。コーヒーの銘柄を頻繁に変えたり、抽出する分量がいつも違うと難しいが、毎日が同じだと加減が自然とわかるようになってくる。要するに、自分がおいしいと思ったコーヒーの条件を見つけ出して、適度に修正を加えるだけである。
しかし、そうやって淹れるうちのコーヒーがうまいかと問われると、絶対評価としては全然駄目だが、朝の気忙しい時間に流し込むコーヒーとしては、まあ悪くないと感じている。少なくとも、へぼ探偵がサイフォンでいれたコーヒーを噴いてしまうほどには、不味くはないだろう。そして自宅の味に飽きて嫌になったら、どこかお気に入りのコーヒーショップに行って、また機嫌を直して今までの習慣を続ければいい。そんなふうに思うのである。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
-
40年近く前の頃だが、日本で最初に発売されたパソコンで、戦争ゲームを楽しんでいたときがあった。パソコンゲームと言っても今のような動画を楽しむものでなく、むしろ将棋ゲームに近い戦略ゲームと言ったようなものだ。ゲームの内容は、歴史上実際にあった有名な戦争を下敷きに、プレイヤーがどうや...
-
「 日本の「安心」はなぜ、消えたのか 」 山岸敏男 安心社会の原理とは、固定メンバーの相互監視によって集団規律を維持し、安全コストを最小限に抑えようとする社会原理。相互監視という機能に依存するので、リスクをとって他人を信頼する必要がない。ただし、他者を排除する必要があるので、...
自分もコーヒー凝り性ですが、平日の朝は時間がなく妻に淹れてもらっています。
返信削除結婚当初(かなり前!)はサイフォンでしたが、最近はペーパードリップです。近所にその場で焙煎してくれる珈琲豆屋さんがあるので、そこで豆を買い、休みの日はゴリゴリと挽いて淹れています。
そろそろ、アイスの時期です。こちらは水出しで抽出しています。
こんばんは。
返信削除私も最初の数年間はサイフォンを使ってましたが、後片付けが面倒でいつの間にか止めてしまいました。
でも、視覚効果は抜群でしたね。アルコールランプの炎が揺らめいて、ロマンチックなことこの上ない。そんなこと思い出すと、またサイフォンで淹れてみようかという気になってきました(笑。
そういえば、手回しのミルも、ほんとに懐かしいなあ。