妻が、一度でいいから行ってみたいと言い続けていた店に行った。それは、「ヨシギュウ」なのである。これまでは、行ったってつまらないからと渋っていたが、自分で最寄りの店を探してきて、そこに昼飯に連れて行けと煩く言うので、熱意に押されて付き合うことにしたのだ。
「ヨシギュウ」に世話になっていたのはBSE騒動の前で、いつも朝食を抜いた早朝とか残業帰りの深夜であり、つまり普通の店が開いていない時間に、とりあえず空腹を満たすための駆け込み寺といった印象でしかなかった。決して不味いとは思わないが、だからといって誰かと食事を楽しむために行くようなところではないと思い込んでいた。
ところが、久しぶりに行って驚いた。看板は「ヨシギュウ」だが、駐車場には高級車が並び、店内は都心のレストランさながらに、都会的で落ち着いたインテリアに設えられ、カップルや家族連れで一杯なのである。中に足を踏み入れると、ゆったりとした4人掛けのテーブルに案内され、そこから周囲を観察すると年配の夫婦や外国人も珍しくない。あの、青白い蛍光灯の下で、疲れ切った男たちが、黙々と丼をかき込む「ヨシギュウ」と同じ店とは信じがたいほどの変わりようである。
注文したのは、お約束の牛丼と生卵。妻はどこで覚えたのか「つゆだく」を所望したが、それは店の雰囲気に合わないかもと言って諦めさせた。そして味のほうはというと、記憶していたものよりずっと上品で洗練されたものだった。これだけの質の料理を、二人でお腹いっぱいに食べて、しかも千円で釣りがくるのであり、まったく日本の飲食業界は大したものだと驚いてしまった。
妻は、長年の希望が叶って、やっと満足した様子だ。わたしは、あの慣れ親しんだ店をなくしてしまって、少しばかりショックを受けている。そして今度は、京都生まれの餃子専門店に行ってみたいと言い出さないか心配している。だって、洒落た音楽の流れる店で、餃子や中華丼を食べるなんて、想像しただけでも気味が悪いではないか。
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