2009年6月23日火曜日

新旧のマックを並べて

ひょんなことから、新しいマックを使うことになった。私の用途では、もはや手持ちのパソコンで充分なので、以前のような新製品への関心はとうに失っていた。なので新しいマックの話は聞いていたが、実物を見たり触ったりするのは初めてである。

最初に受けた印象は、いかにもアップルらしい、実に高品位なデザインであるということ。ボディはアルミの削り出しのようであり、部品のつなぎ目がどこにもない。扉も同じつくりで、中央部から周辺に柔らかにカーブを描く。全体として、パソコンとは思えないほど未来的で、尖った印象の仕上がりになっている。どちらかというと、何か精密な測定器とかハイテク兵器のような感じだ。

ただ、文句の付けようのないくらい洗練された製品なのに、とりたてて感動がないのが残念。これが10年前だったら、間違いなく腰を抜かしただろうに、今では「ああ、そうか」といった程度なのだ。その理由の一つには、ノートパソコンのデザインとして、洗練だけでは新たに付け加えるものが何もないということにある。

さらにいうと、パソコンという商品の価値が、根本的に変わってしまったことも指摘できるだろう。鍋や釜と同じく、ただの平凡な実用品になってしまい、人々がこの製品に夢や希望を託すことがなくなってしまったのだ。格好良さより、使いやすさや、値段が問題なのである。そして、もうひとつ。自分を含めた世の中の気分と、あくまで未来志向のアップルのデザインが、共鳴し合えなくなっているのではないかという気がする。尖れば尖るほど、消費者は白けるのではないだろうか。

映画「エイリアン」で、アンドロイドがノートパソコンを操るシーンが、強く印象に残っている。パソコンという製品が、世の中で産声を上げた頃だった。あんな道具を当たり前に使う時代になり、目の前には映画に登場したのより遙かに未来的なパソコンがあるというのに、少しも関心の湧かない自分がそこにいる。パソコンの時代は、案外近いうちに終わってしまうのではないかと思うのだ。

8年前のマックと並べて眺めていると、その外観以上に、むしろ時代の方が大きく変わってしまったのを感じた。

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