2009年8月30日日曜日

国民の幸福

曖昧な記憶なので不正確だが、人の幸福は3つの要素に支えられているという。3つの要素とは私的な領域の充実と仕事を中心とした社会関係の充実、それから公的関係での充実であり、それらがバランスよく実現されていて、人は初めて幸福だといえるのだそうだ。

楽しいことをしたり、腹一杯食べて満足するだけなら、幼児や動物の幸せと変わりない。もしそれが自分の稼ぎによって実現されているのなら、奴隷だって幸せといえるだろう。人間は社会的動物であり、集団を作って生きていかざるを得ない以上、政治に積極的に関わり、自分の役割を果たさなければ、一人前の大人とは評価されない。つまり政治から逃げていては、いつまでも半人前であり、奴隷程度の幸せしか手にしていないといえそうである。

国民の幸福度を調査した研究機関の発表では、日本人の幸福度は世界最低レベルであったという。もちろん日本人の特性として、幸せですかと訊かれて素直にそう答えることは例外だろうから、かなり割り引いて考える必要がある。それにしても、日本と同じレベルの国々は、もはや国としての体裁すらない失敗国家ばかりで、どう考えてもこの結果は異様である。多少難ありといえども、美しく快適な風土、感じのいい国民、高い生活水準、暮らすならやっぱりこの国がいいと思う。ずっと以前に、もっとも生活水準が高いといわれる国々ばかりを見て回ったが、そういうところと比べても少しも遜色はないと感じている。ただ一つ違うのは、国民の政府に対する信頼感だと思った。あれほどの税金を払っていても、それは自分たちが決めたことであり、自分たちで作り上げた社会だと自負がある。自分たちが、この国のオーナーであるという満足感があった。

胸に手を当てて問うてほしい。私はこの国のオーナーとして、それに相応しい行動をしてきたか。この国は、私たちが作り上げてきた国だと、胸を張って子供たちに言えるかと。そう思えなければ、やっぱり奴隷なんだよね。小綺麗な家に住み、高級車を運転し、外国人に汚れ仕事をさせていても、所詮は独立自尊の気概を持てない惨めな奴隷。その結果が、さっきの幸福度の数字に表れたのだろうと推測する。

とりあえず仕事があり、家族があり、その日その日を安全に何とか暮らせればそれで十分。福祉なんて、最低限の生存が維持できる程度あれば文句言わない。その代わり、公平な政治を実現し、誰もがこの国の主人であると実感できるような、公的な幸福を目標にする政治家が立ってくれれば、私は喜んで投票したいと思うのだ。そして、そういう日が来るのをじっと我慢して待っている。

だから、せめて国民審査だけは、自分の意見を突きつけたいと決意しているのである。

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