2009年9月17日木曜日

飛行機

人生とか家庭を、船にたとえることがある。平均的には、夫が船長で妻が機関長?、子供は乗組員だろうか。そして家族が一致団結して、世間の荒波に負けずに航海を続ける船が、人生のイメージである。

私は、これとはちょっと違うイメージを持っている。それは、決して着陸することのない飛行機なのである。それも、現代的なジェット機ではなく、双発のプロペラの古い型のもの。

何しろ飛行機だから、常にプロペラを回し続けなくては、墜落の危険と背中合わせだ。できるだけ機体を軽くするため、乗務員も手荷物も最小限にする。高度は高く保たなければ、山の斜面に激突したり、乱気流に巻き込まれるだろう。だからなるべく高いところを飛んで、遠くの地形を注意深く観察しながら、安全な旅を続けたい。

船の場合は、かりに航海中に燃料が切れても、食料の蓄えがあればとりあえず大丈夫だろうし、運がよければ救助してもらえるかもしれない。が、飛行機ではそうはいかない。誰も助けられないのだから、燃料切れはもとより、些細な不注意も許されないだろう。だから、燃料はいつも十分に準備するべきだし、ヘマをしないように常に緊張感を持って操縦しなくてはならない。

むろん、人生のイメージとしては船の方がいいに決まっているが、実際の感じは飛行機のほうが近いと感じる。時間に追われ、稼ぎに追われて、バランスを崩して墜落しないように、懸命に操縦桿を握っている。時々だが、自分の姿をそのように想像するのだ。

経営再建中のJALを見ていると、あの人たちは決して沈まない船に乗っていると勘違いしていたのではと思う。多少傾いても沈没するわけないし、燃料が切れたら誰かが持ってきてくれると妄信していたのか。しかし外部から見ている限り、日の丸を背負った巨大航空会社といえども、嵐の中を飛ぶ古びたプロペラ飛行機にしか見えなかった。健全な経済法則に従う限り、世界の空から一度退場させるのが、もっとも自然な処置だと思う。そして、この国に、緊張感のある政治を取り戻すためにも、必要なことなのだ。

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