2009年11月4日水曜日

月夜の散歩


日が暮れて、夕食の買い物を兼ねて妻と散歩する。外に出ると冷え冷えとした空気が頬をなで、そして低い町並みの上に、輝くように美しい月が出ていた。線路脇に咲いているキバナコスモスが、明るい月の光を浴びて花を揺らしている。「きれいだね」、「うん、ちょっと怖いくらい」。ちょうど道をすれ違った若いカップルが、やはり同じように月の話をしながら通り過ぎていった。その瞬間、心のシャッターが静かに切れた。どうあがいても、2度と体験することのないこの一瞬、記憶の中で次第に薄れ、流れていくこの時間を、わたしは幾分悲しい気持ちで見送った。

なぜ繰り返し同じ映画を観るのか。そこには、捕まえたくとも叶えられない永遠の一瞬が、鮮やかに記録されているからだ。それは架空の一瞬であるにせよ、わたしの記憶の中では確かに存在した時間である。映画を観ることで、自分の人生の一部となった時間が、繰り返し再現されるからである。たとえば「お早う」のエンディングで、佐田啓二と久我美子が駅のプラットホームから冬の空を見上げて会話するシーンに魅入られて、そのためだけにこの映画を何度も観た。劇中で二人が見ている冬の空を、同時にわたしもまた満たされながら見ている。わたしにとっての映画を観る喜びは、そこに尽きるのである。

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