夢を見る

私は人通りない裏道に建つ、以前より馴染みの古本屋にいた。前回訪れた時には、まだ営業している様子だったが、今回は棚に並ぶ本もなくなり、床から積み上がった雑誌の山が、いくつも店の壁にもたれかかっていた。埃を払って堆積した雑誌の中から慎重に一冊を抜き出してみると、それはすでに湿気を含んで変色し、もはや売り物ですらないことが分かった。わびしい気分でごわごわとしたページをめくっていると、薄暗い店の奥から主人がこちらに近づいてきた。ちょうど小脇に自分の本を挟んでいたので、慌てて店主に言い訳をすると、「いや、もう営業していないから」と口の中でもごもごと言った。ほっと安心して、あらためて店内を見渡すと、私と同じような風体の男があと数人、残り物の雑誌を探し出して読んでいるのが見えた。

明け方に、そういう場面で目が覚めた。昨夜、雑誌が次々と廃刊する記事を読んで、今も時折購入している雑誌がなくなったら困るだろうな、などと考えながら寝たせいなのかもしれない。また、飲み屋でよく見かけた出版社勤めの人がこの頃姿を見せなくなり、仲間と「彼も大変なんだろうね」とうわさ話をしたのが引っかかっていたこともあるのだろう。いずれにせよ、さほど雑誌に関心のない私でも、こうも雑誌の廃刊や休刊が続くと、ほんとうに出版業界の将来が心配になってくる。雑誌の多くは暇つぶしの種のようなもので必要不可欠とは言えないが、それでも書架を賑やかに彩り、書店に独特の活気を与えていたのは確かであり、時期になると刷り立ての雑誌の束が積み上げられ、それを店員が忙しく荷ほどきをする光景は、端で見ていて気分の良いものだった。

携帯電話やノートPCなどなかったころ、長距離列車に乗る際には、誰も彼もがお茶と弁当、それから必ず週刊誌を買っていた。一通り読み終えると、今度は同行者と交換して読んだ。そして用が済むと、無造作にその場に置き去りにした。そういう習慣の人が多かったせいか、列車の網棚には放置された雑誌が何冊もあり、長時間の退屈しのぎに苦労しなかった覚えがある。列車に限らず、喫茶店とか待合所とか、人の集まるところはどこもそういうふうだった。そういえば、自分も含めて喫煙者が今よりずっと多かったから、妙にニコチン臭い雑誌が多かった。今にして思うと、不思議と時間にゆとりがあり、なにやら贅沢な時代だった。

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